のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

夢に向かって歩くだけで、十分なんです。

こんばんは。

我が家から車で10分ちょっとの映画館が今日から営業再開。そして今日は月曜日。映画が1100円で観られる日。そして何より、とにかく「観たかった」んです。

 

観てきました、『ジュディ 虹の彼方に』。

youtu.be

 

上映は小さいシアターで、入ったときには私以外に1人しかお客さんがいなくてびっくり。最終的にも5人ぐらいでした。こりゃ、映画館のほうがよっぽど安全かも、と思いました。本編上映前の「近日公開映画の予告」は流れず、静かでほの暗いシートでコーヒーとクッキーを味わうひとときが、すごく心地よかったです。

 

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映画は、わかっていたけど冒頭からとても切なくて。母としてのジュディと、ステージに立つひととしての彼女のどちらもが、観るわたしの胸に迫って、加えて、「不徳の致すところ」なのは百も承知だけれど、母親の尊厳が傷つけられるのを目の当たりにして、ホテルを追われ深夜のタクシーに揺られるジュディの2人の子どもたちの姿に、もう45年も前になる自分の姿が重なって、たまらない気持ちになりました。(私には、呑んだくれた父親を家に連れ帰るために、おかんと3つ下の弟と、冬の夜を歩き回った経験がありまして・・・。あの時の、なんとも言えず情けない気持ちと、小柄なおかんの逞しい姿と、訳も分からず歩かされてフラフラになっていた小さい弟のことを、瞬間的に想い出してしまいました。あ、脱線してスミマセン。)

 

華やかなステージの裏にどのような苦労があるか、なんていう生易しいものじゃなく、「美しくあること」「従順であること」「とにかく稼ぎまくること」を強要され、10代からクスリを飲まされ、日常的なハラスメントに曝されてきたジュディは、その後遺症にずっと苛まれ続けます。

 

ステージに立つがゆえの苦しさが、しかし皮肉と言うのか何と言うのか、ステージに立つことによって癒され、「歌うたい」として蘇生していく様に、凄味さえ感じましたが、子どもたちや、恋人とのやりとりでは、か細くて、心配性で、まるでデビュー当時の少女の頃のよう。とくに、映画後半でお医者さんにかかっている彼女が、診察台の上にちょこんと座って、足をぶらぶらさせるシーンは、その「か弱さ」を象徴しているようで、とても印象に残りました。(パンフレットにもそのシーンの写真が載っています)

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映画のクライマックス。再起をかけて立っていたナイトクラブからも、自身の醜態によって追われることになったジュディが、後任のミュージシャンのステージが始まる直前、舞台袖に現れ、「もう1度歌わせて」とステージに躍り出るシーンは、まさに圧巻。

 

観客によって傷つけられたこともあったけれど、それでも彼女は「客席との間に生まれる愛」(パンフレットから引用)を信じて、その愛によって支えられて歌いました。

 

最後に歌った「オーバー・ザ・レインボー(虹の彼方に)」で起きた奇跡は、ほんとにほんとに素晴らしかった。

 

47歳の若さで生涯を終えたジュディ。

 

だけど、それは「可哀そうな人生」ではなく、たくさんのひとに愛されて、2人の子どもたちに愛されて、かつての夫にも、その後の夫にも愛されて、何より音楽に、舞台に愛された、素晴らしい日々だったのだと思う。そして、映画のなかでとても重要な存在として登場するゲイのカップルへの「同志愛」にも思えるあったかい関わりに象徴されるように、抑圧に精一杯抗ってきた者としてのやさしさに満ちたひとだったのだと思う。

 

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つるひめさん(id:tsuruhime-beat)も書いておられたけど、映画の最後にジュディからのメッセージが流れました。

 

ゴールに到達することがすべてじゃない。

夢に向かって歩いていくことが大切なんだ。

希望を抱いて人生の道をコツコツ歩いていく。

それだけで十分なんだ。

(映画を観たときは、「このことば、暗記したぞ」と思ったのだけど、いまブログを書きながら、自分の記憶に自信がなくなってしまい、つるひめさんの記事からお借りしました。つるひめさん、スミマセン、ありがとう)

 

少し前にも書いたのだけど、わたし、大事なひとに、とんでもないことを言ってしまいました。夢に向かって歩くその人に向かって、その苦悩を「わかったような」ことを言ってしまいました。きっとものすごく傷つけてしまったと思います。申し訳なかったと思います。その人に、このジュディのメッセージを、そのまま、伝えたいです。

 

夢に向かって歩くだけで、十分、なんです。

それ以上にすごいことはない。

それを迷いながら、葛藤しながら、続けてきた、そして、これからも続けていくあなたは、それだけで十分にすばらしい。

どうぞ、その歩みを止めないでほしい。

「ごめんなさい」を何度も言う代わりに、そのことを伝えたいです。

 

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夢に向かって歩いている、みなさんへ、わたしへ。

 

虹の向こうへ、夢を叶えに、行きましょうね。

 

じゃあ、また明日。

 

おやすみなさい。