のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

『グリーンブック』に想う(若干の加筆修正あり)

みなさま、こんばんは。

土日の研修を終えて、やっとパソコンに向かうことができました。ゆうべも、きもちはあったんだけど、なにしろ研修の中身がnonchiのもっとも苦手な「数字(そろばん勘定)のはなし」だったため、脳みそが完全ノックアウト状態になってしまいました。軽いかんじで書きたくもなかったので、今晩まで先延ばしにさせてもらいました。

 

な~んて、大袈裟に、もったいつけて、すみません(笑)。

 

観てきましたよ。公開初日の『グリーンブック』。

 

本編のおはなしをする前に・・・。最近、「映画館で観る映画」の魅力に、遅ればせながら気づいたわたし。去年の秋ぐらいから、ポツポツと、そんなかんじになってきてはいたのですが、一番おっきかったのは、やっぱり『ボヘミアン・ラプソディ』でした。しかも、自宅から車で10分ちょっとのところに「イオンシネマ」があるのに、長らく「宝の持ち腐れ」をしておりまして、レイトショーなら、どの曜日でも1100円で観れてしまう、このしあわせを、最近満喫し始めたところです。

 

映画がスタートする前に、「近日公開作品」を紹介してくれるでしょ?あれを観ると「あ、次は、これを観よう」って思う。『グリーンブック』も、そうやって、観る気満々で待っていた作品です。

 

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『グリーンブック』とは、人種隔離政策下で、公然と非白人への差別が行われていたアメリカにおいて、「黒人でも利用できる宿泊施設やレストラン、ガソリンスタンド」などを紹介した旅行ガイドブックのこと。この本をつくったのは、自身もアフリカ系アメリカ人のヴィクター・H・グリーン。

 

 公共交通機関からも排除されていた黒人たちにとって頼みの綱であった自動車で、できるだけ、不愉快な思いをせずに旅ができるよう、宿泊できる施設のない地域では、旅行者を泊めてくれる個人宅を紹介するなどし、アメリカ南部において特に重宝されました。

 

彼は、第一版序文に、こう書いています。

 

「いつか近い将来、このガイドブックが発行されなくなる時が来るでしょう。その時こそ、一つの人種としてのわれわれが、合衆国において権利と特権を平等に手にする時なのです。」

 

(解説は、ウィキペディアおよび映画公式サイトを参照させてもらいました)

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映画は、ニューヨークの一流ナイトクラブのイタリア系用心棒トニー・リップが、天才黒人ピアニスト、ドクター・シャーリーの用心棒兼運転手として、この「グリーンブック」を手に、人種差別が根強く残る南部への演奏ツアーに出発するところから始まります。あからさまな黒人差別者であったトニー・リップが、ドクター・シャーリーを後部座席に乗せて走る車の旅は、どうなっていくのでしょう・・・。

 

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このブログを訪ねてくださる方のなかに「もうすぐ観に行くよ」という方が、何人もおられるので、映画の具体的なシーンに詳しく触れることはせずにおきます。が、とにかく、笑えるし、泣けるし、音楽にも魅せられる、とってもすてきな作品であることだけは、声を大にしてお伝えしたいと思います。

 

それと、もうひとつ、感じたことを、少し長くなりますが、書かせてもらおうと思います。

 

この映画は1962年のアメリカ、とくに南部が舞台になっています。1962年といえば、アメリカには、非白人への差別が法律でも認められていた時代。黒人であるというだけで、バスにも乗れず、レストランも、トイレも、白人と同じところを利用することが許されませんでした。そればかりか、命までも奪われることが平然と行われる時代。映画のなかにも、ピアニストであるドクター・シャーリーへのあからさまな差別的扱いが描かれています。これらのシーンにたいして、「実態はそんな生ぬるいものではなかった。軽く扱いすぎだ」という批判がアメリカ国内にはあったそうです。

 

でも、わたしの感想はちょっと違います。たしかに、とりわけ南部における黒人差別がどれほど惨いものであったか、それを思うとき、まっさきに浮かんだのは、1977年に日本でも放映されて、小学生だったわたしも観た『ルーツ』というドラマです。南アフリカで生まれた黒人少年「クンタ・キンテ」が奴隷商人に狩られて奴隷船でアメリカへ連れて来られるところから、三代にわたる黒人奴隷の物語のなかで描かれた、白人たちによる黒人への差別は、いまでも思い出せるシーンがあるほど衝撃的でした。そこまでの烈しいシーンは、『グリーンブック』には登場しません。が、静かに、いろんなところで、観るわたしに訴えかけてきました。たとえば、綿花畑で働く黒人労働者たちが、白人の運転する車の後部座席に悠々と座るドクター・シャーリーに向けた、なんともいえない複雑な視線。物腰はやらわかくとも「黒人のお前には、絶対に白人用のトイレは使わせない」と拒絶する白人ウェイター。その差別的扱いを甘んじて受けるドクター・シャーリーの哀しい笑顔。➡この部分、書いてから、ずっと気になっていまして。同じような場面が、映画のなかにいくつか出てくるのですが、思い返してみて、やっぱり、「甘んじて受ける」という表現は、どのシーンにもあてはまらなかったのじゃないかと。なので、この一文は、削除しようと思います。が、消しちゃうと、自分が迷って、悩んだプロセスも消えてしまうので、まどろっこしいけど、敢えて、「打消し線」を使わせてもらいました。ドクター・シャーリーの、差別的待遇へのひとつひとつの反応、表情や、ことばの全部が、本当に胸に訴えかけてくる。美しくもあり、哀しくもあり、震えるような憤りが伝わってくるようでもあり。とにかく、ここは、実際にスクリーンでご覧いただきたいです。nonchi のしょーもないコメントは、まったくのお邪魔です。直接的な暴力シーンもありましたが、それよりもむしろ、静かな場面に、差別の根深さ、そのことへの憤りを感じました。「生ぬるい」とはけっして思いませんでした。

 

それと、人間は変わり得るんだという「希望」が、この映画の底にはずっと流れています。そして、人間と人間が出会うことによって、わかりあうことによって、お互いを「大切なひと」と認め合うことによって、社会は動かされていく、変わっていく、という「夢」が貫かれていると、わたしは思います。

 

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この映画を観終わって、本棚から出してきたのは、アメリカ公民権運動の指導者として、非暴力抵抗運動の先頭に立って闘い、39歳で凶弾に倒れたマーチン・ルーサー・キング牧師の本です。

 

リンカン記念堂前の広場に集まった20万人超える人びとに向けて、彼が行った演説を、あらためて、読み直しました。

 

 

友よ、私は今日あなたがたに言いたい。われわれは、今日も、明日も、多くの困難に直面するだろうが、それでも、私には夢がある。

 

私には夢がある。それは、いつの日か、この国が立ち上がり、〈われわれは、すべての人びとは平等につくられていることを、自明の心理と信ずる〉という信条を、真の意味で実現させることだ。

 

私には夢がある。それは、いつの日か、ジョージアの赤土の丘の上で、かつての奴隷の息子と、かつての奴隷所有者の息子が、兄弟として同じテーブルに腰をおろすことだ。

 

私には夢がある。それは、いつの日か、不正と抑圧のために熱く蒸しかえるミシシッピ州でさえも、自由と正義のオアシスへと変わることだ。

 

私には夢がある。それは、いつの日か、私の四人の小さな子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に生きられるようになることだ。

 

私には夢があるのだ!

 

われわれが、すべての村や集落で、すべての州や町で自由の鐘を鳴り響かせるとき、そのときこそ、われわれは、黒人も白人も、ユダヤ教徒も異教徒も、プロテスタントもカトリックも、すべての神の子たちが手を取り合って、あの古い黒人霊歌を口ずさむことができる日が来るのを、早めることができるのだ。

 

ついに自由だ! ついに自由だ! 全能の神に感謝せん、われわれはついに自由になったのだ!

 

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この演説が行われたのが1963年。そして、彼が志半ばで倒れたのが1968年(ちなみに、この年、私は生まれました)。そのことに想いを馳せて、できればもう一度、『グリーンブック』を観てみようと思っています。

 

 

追伸

今日は3月3日。ささやかですが、娘と「おひなさま」ケーキタイム、しました。

 

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追記

『グリーンブック』のことなんですけど、映画のなかで、ものすご~~~くキュートだったのが、リップ(運転手)のワイフであるドロレス。どこがキュートだったか、言いたくてたまりませんけど、我慢しときます。最後の最後まで、しっかりご注目を♡