のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

「希望を、見たよ。」

昨日、とうとう映画『福田村事件』を観た。

 

いつもブログを読ませてもらっている方たちの丁寧で深いレビューに触れて、もちろん観るつもりではいたけど、覚悟が要るよな、と思っていたのと、少しお客さんが減ってからのほうがよかったので、こんなタイミングになった。

 

実はわたしは、この映画のクラウドファンディングにおかんと2人分参加している。おかんは森達也さんのことを以前からリスペクトしていて、その彼が「部落差別」と「朝鮮人差別」を真正面から描く劇映画を撮ると知って「この映画は絶対実現ささんとあかん」と言っていた。わたしは、そんなおかんを見ながら、少しだけ違う動機もあって、おかんとわたし2人の名前がエンドロールとパンフレットに掲載されるリターンを選択して、おかんに内緒で参加した。

 

おかんは、わたしを産んだときには既に社会運動をしていた。もっと遡ると、おかんの父は『赤旗』の熱烈な読者だった。おかんはいろんな職場を渡り歩いた末に市役所に就職して、そこで労働運動に出会って、そこから被差別部落、障害者(あえて当時のままの表記)の当事者と一緒に解放運動をしていた。もちろん、女性解放運動も。そして最後に朝鮮半島にルーツをもつ人たちに出会い、「朝鮮にきちんと向き合われへんかったら、その上にどんな運動を組み立ててもあかん」というのがその後ずっとのおかんの口癖になった。朝鮮半島の北にも南にも何度も行って、日本人として「誰といっしょに闘わなあかんのか」ということを考えて、行動し続けてきた。

 

いま書いても、これだけやってれば、そりゃ「わたしはあんたらのお母さんだけやってるんじゃない」となるよな、と、あらためて敬服するしかない。そのおかんをとおして、わたしもたくさんの出会いをさせてもらい、その流れにハタチになる相棒ちゃんもベビーカーに乗っている時代から同席してきた。

 

わたしは、そんなおかんの半生、いや人生の大部分に敬意を込めて、そして、そこにつながる自分自身の再確認の思いも込めて、連名で『福田村事件』が世に出ることに賛同したかったのだった。

 

私より少し前にひとりで映画を観に行ったおかんからは、多くの方のレビューに重なるもの以外にも少し違う感想を聴いていた。

 

 

人間は、闘ってきたんや。

殺されるかもしれんのに、それでも

自分の思想、自分の本当の名前(朝鮮名)、

自分の出自を命をかけて明らかにした人らに

ものすごい勇気をもろた。

 

それと、水平社宣言や。

部落の自分たちに向けられる差別に抗うなら

朝鮮人への差別も同じ、人間への冒涜やと

水平社宣言は、そう言うてる。

 

この時代に、この映画をつくった森さんと、役者さんたちと、この映画が話題になってるということに、わたしは希望を見たよ。

 

 

それを聴いた時、ほっといたらどこまでも「ネタバレ」をしそうなおかんを制止しながら、こみあげるものもあって、自分はどんな感想を持つのだろうかとも思っていた。

 

実際に観終わって、きっとおかんと同じところに慄然として、同じセリフに泣いたんだろうな、と思った。

 

セリフが「説明」に過ぎるという声もあるそうだけど、わたしは、それは森監督の意図するところでもあったんだと受け止めた。

 

そして、ひとつひとつの場面をとおして、わたしたちは問われていたんだと思う。

 

 

この歴史の事実を前にして、

あなたは何を思うのか。

繰り返さないために、

あなたにできることは、何なのか。

 

 

竹槍で襲いかかる自警団をおぞましく思う自分が、その一員にならないためには、このいまの日本の有り様から目をそむけるわけにいかないんだと、映画館を出た時に一気に気温が下がった道を駅に向かいながら、からだとこころに力が入った。

 

次におかん宅にお泊まりする夜、ちゃんと感想を報告したいと思う。

 

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