のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

BOSSから受け取ったもの。

おはようございます。

 

自分のなかでうわぁ~~っっと湧き上がる想いを、とにかく浮かんでくることばで書き留めた昨日の文章に、いくつも熱いコメントをいただきました。背中を押してもらうような、手をつないでグッと引っ張ってもらうような、ビルの窓から手を振ってエールを贈ってもらうような、そんな気持ちになれました。ありがとうございました。

 

映画をこれからご覧になるつもりの方からも「ネタバレ」お構いなしで、のんちが書きたいように書いたらいいよ、と言っていただいたので、お言葉に甘えて、伸び伸びと、書かせてもらおうと思います。ですから、完全「ネタバレ」です。映画をご覧になる方は、そのことをお含みいただければ幸いです。

 

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あらためて、思うのですよ。

自分のなかから湧き上がる、自分のことばを、自分こそが大事にしなくちゃって。考えて、悩んで、迷って、進んで戻って、つまづきもして、やめたくもなって、それでも、というか、それだからこそ、自分のことばは大事にしなくちゃ、と。そして、それは、自分以外の誰かのことばにも通じることで、自分の心を強く揺さぶったことばは、忘れずに、自分のこころの「とっておきの場所」に置いておかなくちゃ、と。

 

人生は、たったひとつのことばで、大きく動いていくことがあるのだ、と。

 

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映画「カセットテープ・ダイアリーズ」の舞台は1987年、ロンドン近郊のルートンという労働者の町。主人公ジャベドは、パキスタンからイギリスに移り住んだ「厳格な」父を中心とする家庭に育った16歳の少年。幼いころから、自分の想いを詩や文章にすることが大好きだった彼は、「とにかく勉強して、移民として少しでも楽な暮らしを」という父親の圧迫と、「いくら勉強しても、所詮英国人にはなれない」ことをまざまざと見せつけられる日々のなかで青春を送っていました。

 

アメリカではレーガン、イギリスではサッチャーが新自由主義を掲げ、弱肉強食で社会を染め上げていこうとするなか、ジャベドの父も長年勤めた会社を解雇されます。「詩なんか書いていないで働け」と父親に怒鳴りつけられたその夜、窓の外には嵐が。「こんな社会のなかで、自分のことばなんて、ただのゴミくず。ゴミくずならいっそ捨ててしまえ」と、自暴自棄になったジャベドは、自分の作品の書かれた紙を嵐のなかゴミ箱へ捨てに行き、その苛立ちと怒りのあまりひっくり返した自分のリュックサックのなかからこぼれ落ちたカセットテープを手に取ります。それは少し前にムスリム系のクラスメイトが熱く勧めてくれたBOSSのアルバム「ボーン・イン・ザ・USA」と「闇に吠える街」のカセットテープでした。いつも腰のベルトにとおして肌身離さず持っているウォークマンにテープを入れて、ヘッドフォンで聴き始めたジャベドの心に、本物の嵐が巻き起こるのです。

 

(このシーンは、全編をとおしてもっとも印象に残ります。ジャベドのこころに、BOSSの音楽が、BOSSの叫びが、どれほどの衝撃をもって響いたかが、素晴らしい映像で表現されています。)

 

その後、ジャベドはBOSSの音楽に深く共感し、BOSSの綴る歌詞のなかから、恋にも、自分の未来にも、灯りを見出していきます。しかし一方で、社会全体を覆う空気は、イギリスの片田舎で、失業者を家長にもつ、移民家族を呑み込んでいこうとします。自らも極右青年から唾を吐かれ、家族の結婚式が「国民戦線」(極右団体)のデモに阻まれ、父親が右翼の青年に殴られたりする、そんななかでジャベドは、「こんな町からは抜け出してやる!!」「そのために僕は『物書き』をめざす!!」と父親に宣言します。

 

「お前だけが抜けだせばそれでいいのか」と迫る父親との溝を深めていくジャベドのこころを再び大きく揺さぶったのも、BOSSでした。

 

No  One  Wins unless Everybody Wins.

~誰もが勝てなければ、誰も勝てない~

 

自分だけが成功して、苦しい境遇から抜け出しても、隣で誰かが泣いているような社会であるなら、それは本当に豊かなのか、本当に自由なのか?

 

BOSSがライブでたびたびオーディエンスに対して熱く語りかけていたことば。そのことばに、ジャベドは目覚め、彼の進む道、父親との関係に、大きな変化が生まれて行くのでした・・・。

 

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いま、毎日をこの国で暮らしていくなかで、わたしにも葛藤や、行き詰まりや、怒りや、やるせなさ、よろこびや、希望があります。もうすこし「わたし」単位に引き寄せたときにも、いろんな思いを持ちながら、日々を送っています。

 

そのなかで、自分のなかからうまれることばを、自分こそが軽んじずにいたいと思います。「わたしにしか書けない、わたしの物語」を、みんな書きながら、生きているし、生きていく。

 

BOSSは、そういうひとびとのことをいつも歌ってくれる。そして、そういうひとびとのなかに自分も置きながら、これからも、歌い続けていくのだろうと思います。

 

BOSSの歌を、ティーンエイジャーの頃ラジオでちょっとカジっただけだったわたしが、いま、こうして再びBOSSに出会えたことに感謝します。BOSSを知っているひとにも、知らない人にも、この映画をとおしてBOSSから何かを受け取ってもらえたら、と願っています。

 

さぁ、朝です。一日が始まるね。

 

また暑くなりそうだけど、お互い、何とか乗り切っていきましょう。

 

 

 

 

まとまらない映画ばなしを読んでくださり、ありがとうございます。

それと、長くBOSSのファンである読者さんの温かい「後押し」、心強かったです。ありがとね。

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追伸

なお、映画のなかには、ジャベドを応援してくれる、素敵なひとたちがたくさん登場します。そのことに触れてしまうと、自分のなかで収拾がつかなくなりそうだったので、今日は、ぜ~~~んぶ省略してしまいました。「この人」ってひとりを挙げることができないほど、ほんとに、みんな素敵でした。


追伸2

ことぶきさん、玉ねぎとししとうの一品、やってみた。おいしいです!!

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