のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

映画の感想、ほか、大切な気持ち。

こんにちは。

 

今日は午前中にものすごい通り雨。外にいたら大変だったなぁと思いながら、仕事をしていました。ゆうべは、思い切って眠ってしまおうと思いまして、ぶどうジュースをベースにしたアルコール度数4パーセントの缶チューハイを飲みましたところ、笑っちゃうぐらい酔っぱらいまして、相棒ちゃんに爆笑されながらベッドに倒れ込んで爆睡。気がついたら夜中の1時過ぎ。そこからはウトウト程度しか眠れなかったのですが、割とすっきり朝を迎えた次第です。口当たりがよかったのでグビグビっといってしまったのが反省(笑)。次からはもうちょっとペース配分しようと思います。でも、悪くなかったな、とか思ってます(懲りてない)。

 

前回少し書かせてもらった、「するかもしれない」と思っていた大きな決断について、考えて、揺れる時間をしばらく送っているなかで、びっくりするぐらいありがたい出会いをして、心をぐっと動かされて、分かれ道の手前で、いま、一歩を踏み出す直前の深呼吸をしているようなかんじです。

 

そういう時間のなかで、少し前に観た映画『82年生まれ、キム・ジヨン』の感想を、映画ともだちのsmokyさんの記事へのコメントとして書かせてもらったところ、思いがどんどん溢れてきまして、申し訳ないぐらいの長文になってしまいました。投稿してからあらためて読み返し、「あぁ、これ、自分のブログにも残しておこう」という気持ちになりましたので、smokyさんに了解をいただいたうえで、今日の記事にすることにしました。

 

 映画を観た直後に書いた1つ目の記事はこちらです。

映画をとおして、かつての自分を想い出し、自分の人生の1ページを慈しむ気持ちで書きました。

nonchi1010.hatenablog.com

 

この記事では、自分の「あの日々」について書いたけれど、映画を観て、映画について考えたことを書き残しておきたい気持ちが、そのままになっていました。

 

ちょうどsmokyさんが、同じ映画について、その原作についての記事を書かれていて、それを読ませていただくことで、自分の気持ちにあらためて向き合うことができて、長文のコメントになりました。

 

smokyさん、こんにちは。
「お邪魔します」と予告しておきながら、随分遅くなってしまいました(笑)。

それにしても、コン・ユはカッコいいです(笑)。カッコよすぎます(笑)。彼の作品はいくつか観てきましたが、リアルに生活を営むひとりの男性として、今回の役は本当に魅力的でしたし、その魅力がまた、ちょっとわたしのなかではチクチクきたりもしました。

smokyさんの感想で、何度か「やさしく寄り添う姿」みたいなイメージで彼を肯定的に捉えておられたのだけど、わたしには、その彼の「やさしいところ」「寄り添うところ」を素直に評価できない感情がありました。

一番端的にいうと、男性が「育児休暇」を取得しようとするとき、もちろん、否定的な評価がまだまだたくさんあることは大前提。正直、それはわかりきってるんですよね。だけど、わたしがもやっと、チクッとするのは、むしろ肯定派の目線なのです。

「理解のあるオットさんだね」「なかなかできないよ」「出世ルートを棒に振ってもそちらを選ぶって、すごいな」っていう評価、ね。それね、妻(つまり、子どもにとっての母)の場合、どうなんでしょうか。もちろん、出産というおおきなイベントを経験したからだをゆっくり休めてあげるという意味で、産前産後のお休みはもちろん大事。だけど、たとえば続けて育児休業をしようとする彼女たちを、世間のひとたちは「立派だね」と、「すばらしいね」と評価するでしょうか。

ある意味「当たり前」。いいか悪いか、の話題にもならない。「お母さんなんだから、子どもがかわいくて当たり前」。赤ちゃんのうちから保育園に預けて仕事を再開するのは、それだけ経済的に苦しいってことか、戻らなければ仕事のポストが危ういか、そういうネガティブ

な事情だと想像されることがほとんどで、そこに、母になった女性たちが、生き方を選択する余地ってあるのだろうか、その自由って世間の目は許容するのだろうか。

・・・そんなことを思ってしまったのです。コン・ユ演じる夫がステキならステキなほど、どこか心がざわついて仕方がありませんでした。

カフェで赤ちゃんを連れていた女性がアイスコーヒーをこぼしてしまうシーンもたまりませんでした。そう、あんな視線をわたしも浴びたことがありました。「そんなちっちゃい子ども連れて、わざわざ出かけてこなくても、家でおとなしくしとけばいいのに」みたいな視線、それは決して当時のわたしの「被害妄想」ではなかったと思っています。

そういうモヤモヤを、そういうやるせなさを、心の中からあぶりだす、心の奥底に「仕方ないこと」として深く沈ませていた感情を、浮き上がらせた、この映画は、ほんとに素晴らしかったなと思います。

正直、なにも解決しなかったですけど、だけど、その理不尽さのなかにいる、わたしを含めた女性たちを、とても静かに覚醒させたし、鼓舞したと思う。

そして、彼女によって語られた、母や祖母のつぶやきも鋭かったと思います。とくに母はミシン工として家族のために働いていましたが、当時の韓国の繊維産業を支えていたのは、彼女のような若い女性たちが大半で、その彼女たちのおかれた過酷な状況を座視できず、「われわれは機械ではない。労働者の生存権を保障しろ」と叫んで焼身自殺することで韓国の労働運動に文字通り火をつけたのが、チョン・テイルという労働者でした。

ほんのちょっとしたシーンに、そういう韓国の歴史のなかで女性たちが辿ってきた道のりを描いているところも、すごいなぁと思いました。

最近、映画を観るときは、ちょっと奮発してパンフレットを買うことが多いのですが、この映画のパンフレットはとりわけ素晴らしかったです。字もちっちゃいし、紙が薄くてめくりにくいので(笑)、smokyさんには不評かもしれないですけどね。

なんだか、またまた、まくしたててしまいましたけれど、わたしの感想のもうちょっと詳しいバージョン、書かせていただきました。

久しぶりに映画の感想を詳しくやりとりでき、しかもそれが韓国映画で、しかもコン・ユの映画っていうのが、なんとも、うれしいわたくしでございます(笑)。

 

 

この映画は、観るひとによって、そのひとの生き方によって、おかれている状況によって、ほんとにそれぞれ感じることが違うのだろうと思います。そして、ひとの「いたみ」や「よろこび」や「怒り」や「悲しみ」や「うれしさ」というのは、そういうものなのだと、あらためて思っています。誰かにとっての幸せが、誰かにとっては不幸せだったりもする。だから、「みんながみんな、幸せ」というのは、夢みたいなものなのかもしれない。でも、だからこそ、自分以外の「誰か」のことを、想像できるわたしでいたいと思う。そんなふうに思えるいまの自分に、このブログをとおして出会ったひとたちが、たくさん影響を与えてくれていることへの感謝と併せて、書き残しておきたいと思います。

 

ゆうべ、超絶簡単タンドリーチキンに挑戦しました。

ちょっと焦げたけど、おいしかったよ。

のんち食堂は、細々と、静かに、営業を続けておりまする。

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