のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

会えてよかった。

コロナの嵐の中で、何度も約束が直前に立ち消えてしまっていた、看護学生のときの友だちに、昨日3年ぶりに会った。

 

夕方、梅田で待ち合わせていた時間より少し早く着いて「いまどこ?そっちに向かうわ」とLINEしたら無印良品のおっきい店舗のレジに並んでると返信がきた。

 

レジを終えたひとが流れてくるあたりで待っていたら、人混みのなかでも、相変わらずお美しいその友だちのことはすぐ見つけることができた。

 

「おいしいチョコレート買っといたで」と子どもにおやつをあげるみたいにホイッと渡されて、ラグビーのパスみたいに両手でしかとキャッチして、そのやりとりだけで3年の時間はあっという間にリセットされた。

 

看護学生の実習グループが一緒で、卒業後の配属病棟も一緒で、わたしが大学病院になじめずに先に辞めて、そのあとはお互い全然違う道を歩いて(ナースは続けていたけど)、彼女が先に結婚して子どもを産んで、かわいい娘ちゃんをだっこしたまま、「こんなにかわいいのにな、なんか、この子のせいで世の中から取り残されていくみたいで悲しい」とポロポロ泣いて、でもその後すっかり立ち直って、仕事も再開して、美しくてかっこいいママさんナースになった。わたしは大学病院を辞めて東京の大学に行き直し、その後結婚して横浜で相棒ちゃんを産んで、紆余曲折あり相棒ちゃんを連れて大阪に戻ってきた。

 

娘ちゃんを抱っこして泣いた彼女に再会したのはずーーっと経ってからで、そこからも数年おきにしか会っていなかった。それでも会えば時間の経過なんてちっとも感じないぐらいわかり合えて、本当に得難い友だちだと会うたびにしみじみ思ってきた。

 

そんな彼女に3年ぶりに会って、コロナのなかでお互いがどれだけ踏ん張ってきたかを運ばれてくるお料理が冷めるのも忘れて伝えあった。そして彼女が仕事のなかでの人間関係などなどが原因で心療内科にかかっていたこと、そしてわたしが現在進行形で睡眠障害を抱えてお薬を飲んでいることを告白し合った。

 

彼女はいまでも抗不安薬を飲みながら、でもいろんなことを勉強して苦しさと付き合う術を身につけて、仕事も楽しいと思えるようになったのだけど、その経験があるからなおのこと、いまのわたしの状況をすごく憂いてくれて、いっぱい話を聴いてくれたあとにものすごく具体的なアドバイスをいくつかくれた。

 

一番大事なアドバイスは、自分を肯定すること、ほめてあげること。

 

その次は、頭の中のモヤモヤをノートに書き起こすこと。

 

そして、チビチビ進めていた「持ち物を整理して捨てるべきは捨てる」というアクションを加速させること。

 

「あんたはいろんなことを抱え込みすぎ」。

 

わかってくれているひとから言われると、ほんと、返す言葉が見つからなかったし、どこかホッとした。

 

そして、「書き出す」ことの大切さにも納得がいった。

 

別れ際には、ありがたすぎて、ポロっと涙が出そうだったんやけど、一粒こぼれたらダムが決壊しそうで必死にこらえた。

 

家に帰り着いた時にその旨告白すると、「私としたことが気付かへんかった。それならギュッとハグしてあげたかったわ」と返信がきた。あらためて、泣けてしまった。

 

一夜明けて、今日は父の家の荷物の処分を業者さんに頼むための見積もりに出向いた。

 

彼女のアドバイスを早速いろいろ実践してみたところ、なんというか、あらゆることがスムーズに気持ちよく進んでいった。おそらくそれはわたしの心持ちの問題なんだと思うけど、そのように実際に変化したことにとても驚いた。

 

で、父の家からの帰り道、わたしも彼女とお揃いの無印の手帳を買った。

 

自分の人生をよくも悪くも握っているのは、やっぱり自分なんだ。

 

そして、自分を動かすことができるのも、自分なんだな、なんだぞって、あらためて思えた。

 

最近、人に会うのが少し億劫になることがあるのだけど、彼女に会うのも少し心のハードルがあった(自分が疲れてちょっとヨレヨレだから、かな)けど、会いに行ってよかった。

 

彼女も「会えてよかった」と言ってくれた。

 

友だちはたくさんはいないんやけど、でも、ひとりひとり、宝物みたいな人たちだと、あらためて思う。

 

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父のマンションのベランダからの夕空。いつもより、目に沁みた。