(今日の文章は、ここに登場する「友だち」に、あらかじめ了解をもらって書いています。「友だち」のことを少し具体的に書くかもしれないけど、大事に思って書くので、読んでくださる方にも、そのように伝わればいいな、と思っています)
こんにちは。
もともと覚悟していたのだけど、今週は本当に長くて長くて、長かった。やっと金曜日に辿り着いた、というかんじ。
自分がいまの仕事をするようになって、いろんな出来事があったけど、そのなかでもトップクラスに悩ましいことに、ここしばらく向き合ってきました。避けて通ることはできないとわかっているけど、それでも、すごくしんどかったし、まぁ、いまも、しんどい。そして、これからも、このしんどさは続いていくのだろうと、思っています。
わたし、看護師ではあるけど、わたしの仕事は直接患者さんや、その周りの人たち(「ご家族」という表現に、ちょっとだけ抵抗があるんです。いわゆる「家族」じゃなくても、そのひとにとって大切なひとはいると思うんですよね)をケアすることからは少し距離があります。看護師という職業をとても好きでいるけど、でも、実際、自分が看護師として誰かになにかを届けられる場面って、多くない。だから、時々ちょっと落ち込むんですよ。「う~ん、わたしって、何かな」と。ここしばらくのわたしは、悩ましいことと向き合っているせいもあって、なんというか、いつもどこかブルーだったのです。
そんなとき、遠くに暮らしている大事な友だちのお父さんのご病気が急に悪くなって、あまり残り時間がたくさんではないかもしれない、ということを知りました。前から、お父さんのことはお聴きしていたのだけど、友だちのLINEの文面から、状況が深刻だということを理解しました。もちろん、家が近かったら、駆け付けたいところだけど、そうはできないので、LINEでの短いやりとりを、友だちの様子を想像しながら、ちょこちょこっとだけ。しばらくやりとりが途切れたときは「疲れてるかな」とか「いまはひとりで考えたいときかな」とか、「でもやっぱり気になる」とか、そんなふうに思いながらわたしから連絡をしたり、彼女からの便りを待っていたり、しました。
状況が急激に変わっていくなか、友だちは、とてもしっかりと、お父さんの「自慢の娘」として、いろんなことをがんばりました。すごいなぁと思いました。わたしは「今日はこんなかんじだった」と伝えてくれることを、ただ「うんうん」と聴かせてもらって、「それでいいと思う」とか「自分のこともいたわってね」とか、それぐらいのことしか返せなくて、でも、友だちが、そういうわたしでも、頼りにしてくれているんだなぁというのが伝わってきました。
仕事もして、おうちのこともして、お母さんのことも支えながら、友だちはほんとに立派に、お父さんに最期までしっかり寄り添いました。そして、もちろんいまもバタバタと、いろんなこと、がんばってるんだろうな、と思います。
「友だちになってくれてありがとう」
彼女が、そう書いてくれたのですけどね、それはそっくりそのままわたしが彼女に返したいことばなんですよね。
彼女はわたしに助けてもらった、支えてもらったというけど、でも、それ、逆なのですよ。友だちのことを考えたり、短いことばを届けたりしながら、わたしは、大切な友だちとしてはもちろんだけど、同時に、やっぱり看護師として在ったと、在れたと思います。
看護師というのは、うまく言えないけど、患者さんや、自分が支える(ちょっとおこがましいかな、応援する、かな)べきひとの存在によって、逆に支えられているんだと思うんです。友だちは、全然そんなふうに思っていたのじゃないだろうけど、このしばらくのわたしを強く支えてくれていました。
わたしがブログの世界で出会わせてもらった人たちのなかには、病気と向き合っていたり、病気を抱える「大切なひと」とともにある人がおられます。その人たちに伝えたいです。みなさんを応援してくれる、支えてくれる看護師さん、その看護師さんを支えているのが、みなさんだということ。
支え、支えられる関係に、ひとりの看護師として、あらためて、心から感謝したいと思います。
本当に、ありがとうございます。
昨日、1日遅れの「プチひな祭り」しました。
今年は、ものすごく無精をして、お雛様を飾れませんでした。
ごめんなさい。来年は、ちゃんと、ね。