のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

今朝、思ったこと。

先週の土曜日の夕方、出店していた野外フェスから帰宅したところで、一緒に働いている大切ななかまのご家族の訃報に触れました。突然のことでした。

 

昨日、わたしのボスとふたりで告別式に行かせてもらいました。

 

わたしを見るなり、彼女が寄ってきて、凛としていた表情が一気に緩んで、ポロポロ泣きました。「なにもしてあげられへんかった。もっといっぱい話しておけばよかった」とちっちゃい声でわたしの肩のところに顔を寄せてきて言いました。

 

でも、彼女はとてもがんばっていました。仕事でも現場のトップを担いながら、娘としてご両親のことをあったかく支えていました。それでも、それだからこそ、悔やむことはたくさんあるのだと思う。でも、家族のなかでもリーダー的な存在なので、とにかくこの状況を前に動かしていかなきゃ、とものすごくがんばっていました。本当に立派な姿でした。すごい人だなぁと思いました。

 

来週、彼女が現場に戻ってきたら、みんなで迎えてあげたい。よくがんばったとねぎらってあげたい。

 

同時に、「がんばらんでええよ」とも言ってあげたい。どこででも泣けないかもしれないけど、泣いていい場所はもっておいてほしいと思う。それが自分でなくても、他の誰かでも、どこかでも、そういうひとや場所をもっていてほしいと思う。

 

*******************

このブログをとおしてできた友だち(大先輩のことも、「友だち呼ばわり」させていただきますね、笑)が、困っているとき、悩んでいるとき、そのことをブログで書いてくれて、それについて、ブログでつながっているあったかい人たちからいろんなアドバイスや、ねぎらいや、静かな応援が集まってくること、本当にすごいことだな、と思っています。前から思ってたけど、最近、さらにそう思う場面がたくさんあります。

 

「国」は「公助」にはカネもひともモノもかけず、自分たちでやってくれたまえ、の方針で、そのこと自体にはまったく賛同しないのだけど、でも、そのことに反対するだけでなく、やっぱり、いま、ここで困っているときに、声を挙げられて、それにたいして関心が寄せられて、なにか、ちいさくても呼応するアクションが起こせること、そのことが大切だと、わたしは思っています。近くの親せきより遠くのブロ友さん、って、とてもとても素晴らしいことだと思う。「近くの親せき」をもちろん否定はしないけど、でも、困ってること、悩んでることを開示できる関係を、わたしは大切に、拡げて、つながっていきたいと思います。

 

実は、仕事を辞めたいなって思っていました。かなり具体的に考えていました。でも、そのアクションを起こそうとしたところから、いくつも、「あ、これは無理だな。やっぱり辞められないな」と思う出来事があって、でもそのときは「辞めたいけど、辞められないな」ということだったんだけど、今回の大切ななかまのこと、そして、ブログのなかでのあったかいつながりに触れて、「あ、これ、辞めちゃいけないのかもな」と思っています。

 

しんどいんですけどね。でも、何て言うかな、やれるんちゃうかな、やろうかな、っていう気持ち。

 

またこの行間は、別のときに、ゆっくり書きます。

 

とにかく、つながることのあったかさを感じながら、さぁ、仕事に行きます!

 

ゆうべ、相棒ちゃんが「きょうは〇〇がごはんつくるわ」と言って作ってくれたシチューのディナー。パンも焼いてくれたんです。

 

ここにも、大切ななかまが、おりますです。