のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

父についての短い考察。

あとから「あの時自分はどう考えてたんかな」と振り返ることもあるかもしれないので、メモみたいな短文を、できるだけ残しておこうかなと思う。

 

父とそのつれあいを、緊急入院(結果的には病状というよりも老々介護の破綻が原因)させて5日目の朝。

 

「これぞプロ」だとあらためて思う、頼もしいスタッフたちに助けられながら、何とか仕事と「キーパーソン」と、両方をさせてもらっている。

 

この数日間、ずっと考え続けてきて、やっと納得がいったことがある。

 

それは、父がいかに自律できていなかったかということだ。

 

振り返ればおそらく、うちのおかんと夫婦であった時から。

 

正直、おかんと父はどう考えてもパートナーとしてミスマッチだったと思う。おかんは「もっと早く決断したらよかった」と、中学生のわたしに向かっても何度も言っていたけど、本当にその通りだと思う。表面的な態度だけでなく、あらゆる場面の記憶のなかで、父の「毅然とした姿」は、ない。飲んだくれて千鳥足で帰宅しておかんに暴言を吐いて布団に倒れ込んで寝落ちる姿や、夫婦喧嘩にもなっていない、おかんのパーフェクトな正論での批判を受けてしょぼくれる姿や、罪滅ぼしよろしく、洗濯や掃除をする姿、そういうものしか残っていない。

 

父は、おかんとうまくいかないとき、おかんと向き合うことをせず、加えて、当時すでに2人の子どもがいたにも関わらず、これもおかんにいやというほど聞かされてきたけど「子育ての責任」をほとんどと言っていいほど担うことをしなかった。

 

そして、おそらく、この時点ですでに、いまのつれあいさんとの距離が縮まっていった。つれあいさんは、父の一回り以上年上で、父の職場の「医務室」のナースだった。

 

腹立たしいほど、父がいまのつれあいさんに傾いていった背景が想像できる。というか、この数か月で、ものすごくリアルに想像できるようになった。

 

いま、父の主治医をしてくれている、とてもシャープでしっかり者の女性医師が、昨日わたしに言ってくれたひと言が、父というひとを見事に表現していると思うので書き残しておくと、

 

 

お父さんのまわりにはずっとしっかり者の女性たちがいたんよね。だから、お父さんはずっとその人たちに寄りかかって生きてきはったんよ。あれだけの認知症のつれあいさんにでさえ、それに、長いこと離れてた娘さんにまでね。

 

 

・・・・、まさに。

 

ずっとそうやって生きてきたんだな、父というひとは。

 

ちょっと言葉はキツいけど、正直、軽蔑する。そして、いま父の周りで起きていることに、ものすごく、ものすごく、納得する。父が家を出ていって(というか、おかんに追い出されて)40年あまり経過して、今までの時間、すべての、父にまつわる情けなさや、悔しさや、不甲斐なさや、恥ずかしさや、腹立たしさに、納得する。すっきりは、もちろんしないけど、でも、なんというか、もう「言うていく先がないな」と思う。

 

さて、そのような父に、これから、残りどれだけの時間、関わることになるだろう。憂鬱な気分ではあるけれど、なんとなく、もう、なるようにしかならん、みたいな、ちょっと1本線が切れたみたいな、そんな感じでも、ある。