のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

納得、の数日間。

おとといは、音楽の師匠と一緒に50人ぐらいの食事会の歓談タイムのバックでJAZZを演奏させてもらった。

 

師匠は「楽しんだ者勝ちやからな?のんちゃんはこの状況のなかで演るって決意した。それだけで相当すごいことやから、あとは楽しんだらそれでええよ」と言ってくれた。ステージは小一時間だからあっという間だった。途中、打ち合わせていた演奏の構成と違う展開になってドキドキしたけど、焦ったり、間違えたーみたいな顔はしたらあかんと言われていたので、そのとおりにした。と言うか、アクシデントさえ、どこか楽しかった。

 

師匠はいただいた御祝儀袋に自分のメッセージを書き加えて渡してくれた。お金をもらって演奏するに値する自分を目指していきたいと、すごく思った。お客さんが帰り際に「やっぱり音楽はええね。心が元気になるというか、うれしくなるよね」と言ってくれたのもうれしかった。コロナで長く「集う」ことや「語らう」ことができなかった分、楽しんでもらえたことは本当にうれしかった。

 

そして昨日はずっと前から計画していた京都散歩に丸々一日どっぷり浸った。おいしいもの、美しいもの、会いたかった人、全部揃っていた。ここから始まる恐らくとてもヘビーな日々に立ち向かえるパワーは貯金できた。

 

 

さぁ、もう少ししたら、相棒ちゃんを伴って父のところに行く。

 

老老介護で認知症のつれあいとの生活に消耗して、倒れる寸前までいった父だけど、いざ、つれあいが緊急の対応として施設に一旦入ってしまったら、途端に心が不安定になった。そりゃ、父の命にかかわる状況だぅたから、強引な展開にはなったけど、それにしても、びっくりするぐらいしょぼんとして、もう何も自分ではできない、全部お前がやってくれ、みたいな感じになってしまった。

 

こりゃ、ほっとけないな、鬱になるか、このままひとりにしたら父のほうが認知症になるかもしれないなと思ったので、初日と2日目は父宅に泊まり込んだ。食事も3食バランスと消化の良いものを作った。

 

そうしながら、ものすごくよくわかったこと、納得がいったこと、それは、父がいかに自立していなかったかということ。いかにつれあいに寄りかかって生きていたかということ。介護はしていたけど、存在に寄りかかっていたのは圧倒的に父だった。つれあいの入所で、寄りかかる相手が一気にわたしになったんだと体感した。これには圧迫感を超えた、恐怖を覚えた。

 

大変な状況で体調も悪いし、まずはそれを回復させるために、やれることはやろうと思いかけていたけど、というか走り始めてしまったけど、今日、一旦仕切り直しをするつとりで父に対面する。

 

この状況にわたしがどれだけのことを調整したり犠牲にして対応しているか、なぜそうしているか、それがいかに大変なことか、そして、自分で言うのはナンだけど、養育責任をほとんど果たしてこなかったあなたがそれをやってもらっていることがどんなにレアなことか、もちろんそれを真摯に受け止められたらこんなことにはなってないし、それをいまの父に求めるのが酷だとはわかるけど、でも、父はそういうこと、ほとんど眼中にない、と思われる。

 

でも、それではわたしは、困る。そんなんではやってられない。だから、わたしができること、いつまで、なにをするか、逆にどこまでしかできないか、その先どうするか、全面展開はしないけど、道筋だけは立てて、父に提示しておこうと思う。

 

それと、

 

この数日でもうひとつ納得したこと。それは、こんな父が、おかんと夫婦でいられたわけがないということ。こんなにも人に寄りかかる人間を、若い日のおかんが許容できるはずがない。おかんはもっともっと先を走っていたんだ。足並みが揃うはずがなかった、ということ。どっちがエライとか、どっちが劣っているとかではなく、いかにミスマッチだったか、ということ。

 

巡り巡って、今頃になって、今度は娘のわたしが、そのことに直面している。なんとも不思議な、なんとも溜息モノの話。

 

だけど、これもわたしの人生。

 

逃げるわけには、いかない。