のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

「見えない介護負担」から見えること。

父の最近の様子。

 

訪問看護を導入して、「こんなん高いからいらん」とか言い出すかと心配したけど、調子が悪い時にはいつでも電話をしていい契約をして、実際に不安なときに電話して、何度か臨時で訪問もしてもらっているので、頼もしい存在として定着しつつあるようだ。これはわたしにとっても非常に大きな変化。「訪問看護は単価が高い」とよく言われるけど、実際に利用者の側に立ってみると、いや、高くないと実感をもって言える。体調面の安心は、精神的な安定にもつながる。精神的に不安定になると、それは必ず体調にも影響を及ぼす。訪問看護師さんは、ただ体調をチェックしているだけでなく、利用者の生活全般を見渡して、「このひとの在宅療養を支えるために何が必要か」ということを考えて、それを整えるためのアクションをスピーディに起こしてくれる。もっともっと、その存在が、世の中に広く認識されるようになってほしいと感じている。

 

父の話に戻って・・・、毎日19時ぴったりにわたしに体調報告の電話をしてくる。体調が悪かった日は、事前に訪問看護師さんからショートメールで状況報告をもらっているので、父の電話のトーンはある程度予測して電話を受ける。で、これがまた、わかりやすい(笑)。体調が不安定な日は、いかにも「あかんたれ」な声で「今日はずっとしんどかったんや」と報告が始まる。「うんうん、そうか、しんどかったなぁ」とか「看護師さんが来てくれてよかったなぁ」とか、我ながらとっても優しく相槌をうちながら話を聴く。心のなかでは「あんた、ほんま、昔のことは都合よく全部忘れてんねんなぁ。どの口でそんな話するわけ?」と乾いた笑いが漏れるけど、それは置いといて、ちゃんと聴く。父が納得いくまで話したあと、電話を切る。その間、ほんの数分ではあるけど、これが結構疲れる。

 

食事のサポートについては、直後的には「自分で何にもできへん、どないしたらええねん」と「丸投げ」だったけど、少しずつ、できることはやろうと思えてきたようで、近くのスーパーに果物を買いに行ったり、元々お世話になっていた喫茶店の「お昼のお弁当」の注文を再開したり、小さな変化が出てきた。わたしがどっさり作って持って行くおかずは「見ただけで(量の多さに圧倒されて)しんどくなる」などとのたまったため、わたしも一気にやる気が失せてしまい、自分の精神衛生のためにも別の方法を見つけねば、と思ったので、1食ずつトレイに入って冷凍された「おかず」をネットであれこれ調べて注文した。届いた初日、ほかの用事も兼ねて父宅を訪ねたら、すでに自分で「チン」して食べていた。「温め時間がわからへんかったけど、蓋をよく見たらちゃんと書いてたわ」と。そこまでできる元気が戻ってきたのか、とちょっとホッとした。その後も、夕飯はその「冷凍おかず」と自分でご飯を炊いて規則正しく摂っているようだ。

 

5月中旬までの予定で老健に入所しているつれあいのことが気になり、時々施設へ電話して様子を聞いているようだけど、大きく混乱することもなく過ごせているとのことで、あとは自分がつれあいが戻ってきて一緒に暮らせる体力を取り戻すためにがんばるしかないと、少し覚悟ができたように見受けられるこの頃、というかんじ。

 

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ここまで、約2週間。

正直、疲れた。最初の数日は精神的に疲れた。少し間をおいて、心身共にヘトヘトになった。少し様子が落ち着いてきてから、自覚していなかった自分の身体の疲れがドッときて、ど~~~~~んと疲れた。だけど、仕事を休めたのは最初の数日で、あとは仕事と両立の日々だった。今現在は、どっちかな、どっちもかな、疲れが抜けないという状態。

 

思えば、「目に見える介護」はそんなにしてこなかった2週間。

それでも、こんなに疲れている。

「介護負担」は目に見えるものだけではない、ということが、すごく「見えた」2週間だった。

 

昔はみんなもっと寿命が短かったから、「介護」というものが長い期間必要とされるようになったのは、人間の歴史で言えば「ごく最近」のはなしだと思う。さらに、それが世の中に「見える」ようになったのは、もっと「ごく、ごく最近」のはなし。それまでずっと「家の中のこと」として、そして当然のように「おんなのしごと」として認識され(というか、認識さえもされてこなかったのかも)てきた。介護保険制度については賛否があるのは承知のうえで、でも、明らかに「介護」が「家族のなかで、おんなが担うもの」から、世の中というフィールドに登場したのは大きな大きな変化だったと思う。その介護保険制度を活用してもなお、同居別居を問わず、「(おんなを主とする)家族」が果たすべき役割は少なくない。(もちろん、おんな以外のひとが担っている場合も最近では少なくないことを認識しております。そして、そのことがまた、別の大変さを伴っていることにも、心を痛めています)

 

ひと昔前、介護を担ってきたおんなたちの人生って、どんなだっただろうと想像する。自分の人生が、自分の暮らしが、自分のものでない、そんなかんじだったのだろうか。そして、それをうまくやってのけられるおんなが「出来たおんな」だったのだろうか。

 

それ、ツラすぎる。

 

この、たった2週間の、この程度のわたしの介護負担。それでもわたしは疲れている。とくに「見えない」介護負担に、疲れているのだと思う。

 

どうすれば、「見えない介護負担」が少しでも軽くなるだろう。

 

そもそも、「見えない介護負担」なるものが、どこまで世の中に見えているだろう。

 

それは「わたし個人の問題」ではない。

 

そんなことが、おぼろげに見えてきた、2週間だった気がする。

 

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昨日は3・8女性デイ、だったんだ。

 

昨日の半分が過ぎたぐらいの時点で思い出した。

 

このタイミングで迎えた「3・8」。

 

あれこれ、さまざま、感慨深い。