昨日仕事で、病棟の入院患者さんのお話し相手になる役をした。現場にでて患者さんに直接まとまった時間接することは珍しいのだけれど、昨日は人手が要るイベントがあったので、わたしも駆り出されたというわけ。
3人の女性患者さん、お三方とも認知症があられて、それぞれ自分の世界をしっかりもたれている。
夕飯までの1時間ちょっと、詰所の前に長机を置いただけの談話スペースで、私を含め4人であれこれ話をしながら過ごした.
入院していると季節がわからなくなるので、リハビリスタッフが患者さんと一緒に折り紙で季節の飾り付けを作ってくれるのだけれど、その折り紙が難しいという話から会話が盛り上がった。
「先生たちが教えてくれはるから、ちょっとずつできるようになって、やっぱりな、この歳になってもできへんことができるようになるのは楽しいですわ」と、最年長の患者さん。
するとお向かいに座っていた最年少の患者さんが「わたしは貧乏やったから、習い事なんてさせてもろたことがなかったんよ、せやからこないしてみなさんと一緒に楽しませてもろて、ありがたいと思てますねん」と。そして続けて身の上話を始められた。
身の上話は、子ども時代から結婚して母になって、一生懸命夫の実家の家業を手伝いながら子どもを育てあげるところまで、淀みなく続いた。
「それは大変でしたね、苦労もいっぱいしはったんですね。よう頑張ってきはりましたね」とわたしが相槌をうつと、3人目の患者さんが「きょうはみなさんいままでになくいろいろ喋らはるわ」と満足そうに笑っておられた。
身の上話は、途中つらい内容もたくさんあって、聴いていて切なくなったり、同じ女性としてメラメラと腹立たしかったり、いろいろしたけれど、でも、話しに区切りがついたとき、その患者さんはとてもスッキリした顔をされて、「あーー、ぎょーさん喋らしてもろたから、晩ご飯おいしいやろな」と言って声をあげて笑われた。
一緒に聴いていたあとのお二人は、聴き終わると同時に全然違う話をし始めて、それはそれは可笑しくて、笑ってしまった。でも、身の上話の間は、ひと言も「チャチャ」を入れずに、黙っておられた。きっと、寄り添って聴いてくれていたんだと思った。
夕飯が配膳車にのってやってきて、3人ともとてもおいしそうに召し上がっていた。
「みんなでよばれたら、ほんまにおいしいですわ」と身の上話の患者さんが涙ぐまれているお向かいで、そんなのそっちのけな勢いで最年長の患者さんがお粥さんをおいしそうにすすっておられる姿が、微笑ましいというより逞しくて、「あぁ、みなさん、ほんとにいくつもの荒波を乗り越えて、生きてきはったんやなぁ」としみじみ思った。
残っている記憶は幸せなものばかりではないかもしれないけど、それも、大切な日々だったんだ。繰り返し同じ話をされる姿に、よみがえる、その日々の重みを、ずっとずっと年下の人生の後輩として、大切に想像したいと思うひとときだった。
・・・
今日は少し疲れ気味だったので、掃除と洗濯だけして、あとは、編み上がったコースターにアクセントのラリーキルトを縫い付けるのを楽しんだ。
私は、いつか、どんな日々を想い出すのだろうな。そんなことを、ふと考えたりした。
(一度記事をアップしてから、患者さんが話された内容は削りました。もちろん個人は特定されないけど、でも、このブログの読者さんのなかには認知症のご家族を介護なさっている方もおられて、その方たちにどう届くか、気がかりになったためです)