のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

忘れない、そして、生きていく。

ふたたび、おはようございます。

(ここから先は、25年前の今日のことを書きます。もし、おつらい方がおられたら、ここで読むのをストップしてくださいね)

 

 

 

 

25年前の今朝は、当時働いていた大学病院の「早出」勤務に向かう途中でした。

今朝よりずっと寒かった記憶があります。

 

確かに、いままで経験したことのない揺れではありました。「寝不足だから、眼がおかしいのかな?」と、自分の眼のまえの光景を、すぐには受け止められない、そんな数十秒ではありました。

 

だけど、想像を絶するような、ものすごいことが起きているとは、まさに想像もせず、「遅れた電車はいつ動きますか?仕事に行かなくちゃいけないんです」と、見知らぬサラリーマンのおっちゃんと一緒に、駅員さんを質問攻めにして、「僕たちもわからないんです。何もお答えできないんです」と返されて、「そんなん、仕事行かれへんやんなぁ」とおっちゃんと妙な連帯感を抱いて相槌をうったのを憶えています。

 

そのあと、しばらく待っても、状況がなにも変わらなかったので、わたしとしてはただただ「遅刻したら大変だ」という一心で、コワいセンパイが夜勤をしている病棟に、恐る恐る「遅刻しそう」との電話をしました。そして、そんなどころの話ではないことを、電話の向こうのセンパイの声色で初めて感じたのです。

 

「とりあえず、早く家に帰って」とセンパイから指示をうけました。そして、そこから3日間は、交通手段がなくて仕事に行くことができませんでした。こたつのなかで、信じられない光景を、言葉が出ない気持ちで、テレビをとおして見るだけの、なんとも無力な数日を送りました。

 

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何年たっても、忘れられないことがあると思います。わたしなんぞが言葉にするのも、もしかしたら軽率なのかもしれません。

 

だけども、それでも、忘れないで、そして生きていく。

 

わたしも肉親のひとりを亡くしました。そのことを、わたしの数百倍も悲しんだひとがいましたが、そのひとも、いまはもういません。

 

そのふたりのことを想い出すと、やっぱり泣けてくるのだけれど、それでも、やっぱり、わたしは変わらず生きているし、生きていく。

 

この日を、深い慟哭のなかで迎えるひとが、たくさん、たくさんいらっしゃると想像します。そのひとたちのかなしみを、とてもじゃないけど、わかりようもありません。

 

だけど、ちゃんとごはんたべて、ちゃんと寝て、ちゃんと楽しんで、暮らしていってほしいです。そのことを希んでいないひとは、いないと思うから。

 

今朝、出勤途中のラジオで、この曲が流れていました。

あらためて、やさしい歌だなぁと思いました。

この曲を、今日のこの日にリクエストしたひとの気持ちをちょっと想像しました。

 

わたしにも、これをそのまま届けたい人、いるなぁって思ったので、ここから

飛ばしたいと思います。

 


YouTube

 

動画はYoutubeから拝借しました。いつもと違うやり方で試しているので、うまく動画が観られなかったらごめんなさい。

 

聴いてほしかったのは、

忌野清志郎さんの『Oh!  Radio』という曲です。