相棒ちゃんが6ヶ月のときに、当時の夫やら、その両親、祖父母にまで反対されながらも老人ホームでのパート勤務で看護師の仕事に復帰して以降、そろそろ20年になるわけか・・・。
そんなことを思ったのは、今週末に、相棒ちゃんの成人式の着物試着会が待っているから、だな。
あんなにちっちゃかったのに、あんなにかわいくて、時にはあんなに憎たらしかったのに、もう20年も人生を歩いてきたのね。そのとなりでわたしも20歳もおっきくなったのね。すごいな、まったく。
最近、看護師の仕事も、いまの立場も、全部終わりにしたいと思う出来事があって、今日の午後には、その出来事の最終局面に臨むのだけど、これ、本当にしんどい。疲れる。逃げるわけにいかないし、逃げないけど、もう「ごちそうさま」と言いたい。
働きたくても働けないひとがたくさんたくさんいるのに、なんとも贅沢な、と思うけど、この仕事、いつまでやらなきゃならないかな、なんて思うんなら、もう、やってちゃいけないんじゃないかと、そんなふうにも、思う。
でも、もちろんのこと、そんな簡単には終われなくて、終わるなら、ちゃんとバトンは渡さなきゃならない。それは、やっぱり、この立場で働いてきた限り、そうしなきゃ、と思う。だけど、アクセルを踏んでも加速しない、いや、アクセルを踏むことを、そもそも躊躇してるのだ。
そんなふうに、ウダウダと考えるでもなく考える毎日が過ぎていくなかで、割と近いところにいる、同年代の女性たちが、思い切って次のステップを踏み出そうとしていたり、ずっとやりたかったことを、やっぱり諦めきれなくて、ムズムズしていたりしているってことをいくつか耳にした。
いま50代の半分ぐらいにさしかかって、いろんなことを考える。
自分のなかでチロチロと、ちっちゃな火を絶やさずにきた、ささやかな夢とか可能性に、もうちょっと息を吹きかけて、その火を少しだけ大きくしたいなぁって思う。
それは、無謀といえば無謀。
だけどなー。
せっかく生きていて、せっかく相棒ちゃんもおそらく元気に20歳になれそうなんだから。
こんなふうに澱んでないで、みんなのいろんな可能性を、なんか、カタチにできないかなぁって、そんなことを思っている。
最近は、手織りがリラックスのための特効薬。
この蒼と黒の一枚は、なんとなく「銀河鉄道の夜」をイメージさせた。
ハナミズキも、一気に咲きそう。
なにか、動かし始めたい、そんな、春。