のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

あの日々の「独り言」を愛おしむ。(長文御免)

こんにちは。

 

『82年生まれ、キム・ジヨン』。

 

観終わった余韻が、眼の奥、頭の奥で、ちょうど「お鈴」の音が長く微かに響くみたいに、続いています。「心地よい」と書きかけて、ちょっと違うと感じて消しました。「心地よい」ほどの穏やかさはないけど、でも、「不快」ではもちろんなくて、ずっと心のなかを、感情と記憶とがマーブル模様になって漂っている感じです。

 

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映画の原作は、2016年に韓国で刊行されると同時に多くの女性たちの共感を呼んで大ベストセラーになりました。その後、アジアのみでなく、イギリスやイタリア、スペインなど20を超える国や地域で翻訳され、日本でも2018年の冬、発売わずか2日目にして重版が決まるほどの注目度。わたしの印象だけど、本屋さんに韓国の作家さんの本が普通に並ぶようになるきっかけのひとつだったと思います。

 

でも実はわたしは原作を読んでいません。あまのじゃくなのかな、「ものすごい人気」と言われると、なんとなく、そのブームに乗れない自分がいました。

 

 

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ここから先は、映画の中身をご紹介するというよりは、もっぱら、わたしの気持ちと記憶について書きたいと思います。

 

わたしは今年17歳になった相棒ちゃん(ひとり娘)を大阪から遠く離れた関東で出産しました。自分の意思で相手を選んで、自分の意思で法律婚をして、夫の姓を名乗り、相棒ちゃんを妊娠してからはつわりがものすごくひどかったこともあって、当時していた仕事(この時期だけ、看護師ではない仕事をしていました)を辞めて、いわゆる「専業主婦」をしました。お金に困ることもなく、義理の父母、祖父母にもとても大事にしてもらい、周囲から見たら「なんの不足があるの」といわれる暮らしをしていました。相棒ちゃんを出産して、病院を退院してしばらくは夫の実家にお世話になり、「上げ膳据え膳」だけでなく、本当にお嬢様のような生活をさせてもらいました。相棒ちゃんは、大きな病気をすることもなく、すくすくと育ってくれました。

 

でも、わたしのなかでは、「この暮らしは長くは続かない。続けられない」という気持ちが少しずつ膨らんでいく毎日でした。何から何まで、価値観をすりあわせて夫婦になったのではなかった、もっというと、一番大事なことには触れずに進んできたことが、じわじわと染みがひろがるように、自分の心のなかに影をおとすようになりました。

 

「一番大事なこと」とは、「わたしが、わたしであること。わたしがわたしの『主人』であること」だったのだけれど、毎日のなんでもない暮らしのなかで、それがどんどん浸食されていくのを感じました。もちろん、見た目にはわからない。むしろ「幸せ家族」に映っていただろうと思います。だからこそ、誰にも相談できませんでした。ほんとなら自分の母親に相談するところかもしれないけど、うちの場合は、なんたって「頑固一徹おかん」ですから、そんな相談しようものなら、「即日行動」しか道がなくなってしまう。そうなると、逃げたかったおかんのところに、おかんの価値観に、また近づかなくてはならなくなる。それがとてもいやだったのです。

 

最終的に、わたしを決断させたのは夫の暴力でした。肉体的暴力を受けたのは最後の最後だったけど、思い返せば、夫のことばや態度によってわたしの精神や思考が委縮していくプロセスのほうがダメージが大きかったように思います。

 

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映画のなかで、主人公のジヨンに起きる、ある「症状」。

 

そのシーンを観たとき、わたしのなかで、蘇るものがありました。

 

わたしは、相棒ちゃんとふたりのとき、あるいは滅多になかったけど「ひとり」になれたとき、ものすごく「独り言」を言っていました。自分の心のなかのつぶやきを言葉にして発したり、この暮らしを終わりにするためのシミュレーション、「これをこうして、次にこうして、いやいや、それじゃうまくいかないから、こうやってみようか」みたいなことをブツブツ呟いていたのです。でも、考えれば考えるほど、行き止まり。そして、いつも最後に辿り着く結論は、「悪いのはわたしなんだろうな」ということでした。「このまま、自分が考え方を変えて、自分のなかで折り合いをつければ、続けていけるのじゃないか」と思えてきて、最後は、考えるのをやめて、「独り言」もやめる、という繰り返しをしていたのでした。

 

「あぁ、そうだったな。そんな日々だったな」と想い出しました。

 

ジヨンがぼんやり座り込んでいた洗濯機のそばのあの景色。

 

わたしも、ちょうど同じような場所に、「体育座り」をして「独り言」を言っていた。

 

自分の『主人』が自分でない日々。幸せな「妻」だったり「お母さん」であることが、自分をどんどん追い詰めていった日々。

 

その日々の先に、いまのわたしがいます。

 

いま、あらためて、あの日々の「独り言」を、とても愛おしく思っています。できれば、その「独り言」を、そのとき夫に向き合ってちゃんと伝えればよかったのかもしれない。その努力をほとんどしないままに、一方的に、着々と遠い存在になっていったわたしのことを、夫が理解できず、あんなふうな言動に出たのは、わたしにも大きく責任があったと、いまになって思います。だけど、そうだとしても、わたしは、いまのわたしを認めてあげたい。むしろ、そうだからこそ、いまのわたしは、わたしの『主人』でいなければ、と思っています。

 

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それから、この映画では、3世代の女性が登場します。ジヨンと、ジヨンのオモニ(おかあさん)とハルモニ(おばあさん)です。その時代の社会のなかで、それぞれの「痛み」を抱えて生きてきた女性たち。わたしにとっての3世代を考えてみたとき、明治生まれで貧困ゆえにほとんど学校に行けなかった祖母、「女であることを理由に虐げられてたまるか」とメラメラと闘争心に燃えて行動してきた母(頑固一徹おかん)、そしてわたし。この3人のことも、じっくり見つめてみたいという思いが膨らみました。

 

また、いつか、書いてみようかなと思っています。

 

長文御免。予告通りになりました。

きわめて個人的なことだけど、でも、その「個人的なこと」のなかに、やっぱり、「わたしが女性であること」が絡んでいると思う。そのことを、「わたし」が書くことに、意味があるのだと、そんなふうに思います。

 

 

読んでくださった皆さんに、感謝の気持ちをお伝えします。

ありがとうございました。

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