のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

坂本龍一さんが遺したもの。(訂正追記)

ゆうべ、テーブルの上に置けるサイズの「手織り機」で、なんとなく、ちっちゃいマットを織っていたところに、「教授が亡くなったよ」と音楽の師匠からLINEがきた。

 

 

あぁ、とうとう、このときがきてしまったんだな。

そう思った。

 

 

きっとそのときはもう遠くないんだろうな、と思いながら、お目にかかったこともないのに、とても大切なひとにさよならを言う直前みたいな気持ちが湧いてくる、ここ最近だった。

 

 

中学生のとき、音楽雑誌で「RYDEEN」のピアノ譜を手に入れて、昼休みだか放課後だかの音楽室のグランドピアノで練習したのが、坂本龍一さんとの出会い。(追記  「RYDEEN」は坂本龍一さんの作曲ではなかったです。ですから、正しくは、YMOとの出会い、でした。なんと恥ずかしいこと。)

 

 

それ以降、「戦場のメリークリスマス」や、もちろん彼が奏でる音楽や、「9.11」や「3.11」をめぐっての発言に、静かに心を動かされてきた。

 

 

ゆうべ、LINEが届いてからも、いろんなところで彼のことを悼むことばが発されて、なんというか、かなしいというより、もっといろんな感情が混じったふうで、仕事の合間、ふとしたときにも胸がぎゅっとくる。

 

 

ここ最近も、いくつかの発信をされていた。

 

 

「ほんとうに、それでいいのか」

「あなたは、これでいいのか」

 

 

そう尋ねられているんだな、と思った。

 

 

わたしは、なにを選び、なにを選ばないのか。

 

 

それを問われているんだな、と。

 

 

ブログのなかでわたしがだいすきで読ませてもらっているひとが、「坂本龍一さん」というタイトルで文章をアップされていた。

 

 

「わたしもそう思ってたんです」というのは、そのことばを丁寧に紡いだひとに対して軽々しい気がして、あんまり書きたくないし言いたくないことばではあるのだけれど、でも、そのひとの書かれている、坂本龍一さんへの思いに、「そう、わたしも言いたいのは、そういうことなの」と涙がこみあげてきた。

 

 

坂本龍一さんがいなくなった世界で、坂本龍一さんが遺したものを、わたしたちは、どんなふうに、この手の中に持ち続けていけばいいだろう。

 

 

とんでもなくたくさんの、途方に暮れるような気持ちを抱いている、世界じゅうのひとたちが発することばに、いまは、静かに心を傾けていたい。

 

坂本龍一 フリー画像 に対する画像結果