職場でのとんでもない出来事が、夢にまで出てくる状況で、結構疲れている。
でも、年度末、そしてコロナをめぐってもさまざまな変化を準備している最中、自分の都合で休むという選択肢は、ほぼ、ない。
朝からゆうべのクリームシチューを白ごはんの上に豪快にかけておっきめの木のスプーンでがつがつと頬張って、車に乗り込む。
出勤途中でおかんと待ち合わせて、昨日の夕刊と今日の朝刊を渡して、おかんの手作りお弁当を受け取る。で、二言三言交わして車を発進させる。
今朝も同じ流れのなか、受け取ったお弁当のバッグに、新聞の折りたたんだものがチラッと見えたので、「何の切り抜き?」と尋ねると、まったく想定外のこたえが返ってきた。
「あ、それな、あれよ、○○の宅配のおかずや」。
○○というのは、おかんの元オット。わたしの父親の名前。
ちょっと、これには、まいった。
その、なんていうのか、懐の深さというのか、なんというのか、もちろんわたしの労力が少しでも少なく、小さく、軽くなるように、というのがメインではあるだろうけど、でも、○○のことを生きようが死のうが知ったこっちゃないと言っても全然構わないような間柄なのに、新聞の広告を見て、それを切り取ってわたしに持たせる、その行動に、ほんと、まいった。
その「まいった」を、咄嗟には言葉にできず、そのまま車を発進させてしまったけど、お昼のお弁当の感想と一緒に、一言だけでも書き添えたい。
ほんと、たいしたひとだ。