のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

「おかあさん」と「娘さん」。

今日は父の受診に同行するために、仕事を休んで朝の6時半に家を出た。

 

午後からは、いま施設に居る父のつれあいさんが今月末に退所して在宅復帰するので、サービス調整会議を父の自宅で開き、そこに施設のスタッフに付き添われてつれあいさんも当事者として参加した。

 

来週末に退所する日程を固め、自宅でのサービスを福祉用具も含めて急ピッチで組んでいく。

 

午前中の自分の受診で体力の大半を使い果たして抜け殻寸前の父を隣でサポートしながら、プランを組み立てる。まぁ、仕事でそのようなことを訪問看護師としても病院看護師としてもやってきたので、それ自体はそんなに大変ではなかったのだけど、終わってみると、思いっきり疲れている自分がいた。

 

その疲れの根っこを自分なりに辿ってみると、あ、そういうことかと思えた。

 

会議の間中、何回も何回も、父のつれあいは「おかあさん」と呼ばれ、そしてわたしは「娘さん」と呼ばれた。本当に何度も、何度も。

 

そのたび「おかあさんちゃうわ!!」と噛みつきたいのを抑えた。限られた時間の中で、事務的に「母じゃないんです。離婚した父の、その後のつれあいです(厳密にはその前からだけどね)」と説明したところで、そんなの話の腰を折る以上の何モノにもならない。そんなことで説明できるような、そんな軽い「呼び間違い」ではないから、訂正しなかったのだけど、でも、もう、ほんっっっとにいやだった。それは自分でも少し驚くほどだった。

 

父のつれあいさんは、人としては悪い人ではないと思う。それは、本心で、そう思う。

 

でも、わたしにとっては、真っ赤な他人。

 

そのことを、あらためてしみじみなんてヤワな感じではなく、メラメラと再認識した。

 

でも、もちろん会議にはしっかり参画したし、サービスはばっちり初期計画を固めるところまでもっていったし、もちろん退所してくる日には仕事を休んで受け入れ体制をとるつもり。

 

それを可能にしたのは、とっくの昔に別れた夫を、それでも困っているならやっぱり放っておけないという、頑固一徹おかんから受け継いだDNAに由来するもので、そして、どこかで「野垂れ死んでもしらんわ」と言い切れないおかんの人間愛のようなものに感染したためであると思う。

 

我ながら、わたし、自分をエライと思う。

 

そして、わたしの本当の「おかあさん」の「娘さん」として、胸を張っていたいとも思う。

 

そんなわけで、夕飯は自分にご褒美でひとりで外食をした。

 

大好きな白胡麻坦々麺に、贅沢してトマトサラダまでつけてやったぜ。

 

お疲れちゃん、わたし!!

 

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