かなり長いこと、本を落ち着いて読むことができなかった。時間がまったくないというほど、仕事ばっかりしていたわけではなく、夜にはそれなりに時間はあったけど、本を読む気力というか、元気というか、そういうのがなかった。
だけど、本を読むことから遠ざかっていくと、自分のことばの引き出しの中身、感じるアンテナ、知りたいと思う気持ち、諸々が、劣化していくような、目減りしていくような、かなしい気持ちがじわじわと押し寄せてくるようで、今年は、本を読もうと決めていた。
で、この連休に京都で一冊の本を買ってきた。前回京都に来た時、古本屋さんで手に取ったものの買わずに帰ってきてしまった本、「どうか売れてしまってませんように」と拝む気持ちで行ってみたら、なんと幸運にも売れ残っていた。
『韓国文学の中心にあるもの』。
このブログを読んでくださっているひとは「のんち、また韓国かよ」と思われるかもしれないのだけど、わたしは、いまの日本の状況をまえに、何を考えて、どっちに向かって歩いていくか、何をするか、何をしないか、を考えるために、この本を読むことにした。そして、半分ぐらい読んだところで、「今年最初の一冊」にこの本を選んでよかったと確信できた。
目次と、印象的なまえがきの一節を引用させていただく。
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第一章 キム・ジョンがわたしたちにくれたもの
第二章 セウォル号以後文学とキャンドル革命
第三章 IMF危機という未曾有の体験
第四章 光州事件は生きている
第五章 維新の時代と『こびとが打ち上げた小さなボール』
第六章 「分断文学」の代表『広場』
第七章 朝鮮戦争は韓国文学の背骨である
第八章 「解放空間」を生きた文学者たち
終章 ある日本の小説を読み直しながら
まえがきからの引用
・・・(略)日本の歴史は、朝鮮半島の歴史と対照させて見るときに生々しい奥行きを持つ。この奥行きを意識することは、日本で生きる一人ひとりにとって、必ず役に立つときがある。
(略)隣国でもあり、かつて日本が植民地にした土地でもある韓国の文学は、日本に生きる私たちを最も近くから励まし、また省みさせてくれる存在だ。それを受け止めるための読書案内として、本書を使っていただけたらと思う。
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読むスピードがとても遅いので、読み終えてからの記事を書くのはまだ先になってしまうと思うのだけど、とにかく、今年は、本を読む。その宣言と、いまの自分の矢印の向きを書き残しておきたかった次第。