のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

生きていくこと、支え合うこと。

2022年の年の瀬は、職場のクラスターもあったけど、とにかく忙しくて、大掃除なんてとんでもないし、自分のうちの日々の食事については手抜き常習者になっていた。

 

その一方で、我ながら「わたし、エラいよ、ほんま」と思っている。それは、「おかん」のいえの大掃除と、おかん一族のお墓のお掃除と、このブログには滅多に登場しない「おとん」への手料理配達なんか、やっちゃったから。

 

まず、おかんのいえの大掃除。おかんはかなりの「諦めモード」だったのだけど、わたしとしては、これをやらないと、なんとも「積み残した」感じがして、新しい年を迎えられない気分になるので、結構に疲れていた自分を奮い立たせて(大袈裟だけど、ほんと、そんなかんじの年末だった)がんばった。もちろん一人では無理だなぁと思ったので、相棒ちゃんを味方につけて。

 

案の定、というかそれ以上におかんは喜んで、「これで気持ちよく正月を迎えられる」とか言っちゃって、ほくほくの笑顔だった。それを見せられるとこっちもまんざらでなくなり、ちょっとうれしかったり、した(笑)。

 

おかんのいえの大掃除の帰り道にスーパーに寄って両手いっぱいに材料を買って、寸胴いっぱいにおでんを作った。卵は10個、大根は太いのを2本、じゃがいも8個、練り物多数、こんにゃく、餅きんちゃく・・・。びっくりするぐらいの量を作ったのに、これまたびっくりするぐらい相棒ちゃんにつまみ喰いされて、慌てて「おとん」の分をパックに詰めた。

 

ここで解説。

おとんは、わたしが小学6年生のときに家を出て行って(いや、おかんに追い出されたのだ、きっと)、そのあとは、時々子どもとおとんだけで食事をしたりしたけど、いつからか疎遠になり、わたしが相棒ちゃんを産むまでの長い間ずっと会っていなかった。自分が「ひとの親」になってみて、初めてわかることや感じることがいろいろあり、赤ちゃんだった相棒ちゃんと、相棒ちゃんの父親とでおとんに再会した。そのあとも何回か訪ねたけど、それも途中で途絶えていた。なぜなら、おかんは、わたしや、とくに相棒ちゃんがおとんに会うことをものすごく嫌っていたから。「あんた、家庭責任なんてこれっぽっちも果たしたことないのに、今ごろ、子どもがおっきくなってから厚かましい。どんな顔して会えるんや」とものすごい剣幕でわたしに食ってかかることが度々あり、最後は、まだ保育園児の相棒ちゃんに「あんた、おじいちゃんがどんなひとかわかってんのか?!」なんて詰め寄ったもんだから、わたしは「もはやこれまで」と思った。

 

そこから10年近く会ってなかったのだけど、ここしばらく、何度か訪ねるようになったのは、おとんのパートナー(おとんよりかなりの姉さん女房)の認知症が加速してきていて、おとんが孤軍奮闘しているというハナシをわたしの弟から聞いたから。看護師という職業柄もあるし、なんというか、そこは「夫婦」と「親子」の違いなのかもしれない、どうも「放っておけなかった」のだ。

 

いろいろ苦労をかけてきたパートナー(もちろん、うちのおかんが一番苦労かけられてますけど)だから、おとんは出来るだけ自分が大事に面倒をみないと、と思っているようで、人の手にゆだねることを非常に嫌って、自分が四六時中一緒にいる。わたしは「それは絶対息切れするし、お父ちゃんがしんどくなるから、堂々と人に任せたらええねん」という説得をする係であり、おとんの愚痴の聞き役となって、このところ時々おとんの家を訪問している次第。これ、もちろん、おかんには極秘ですよ。そんなこと知ったら、これまたどうなるかわからん。・・・というか、もしかすると薄々なにかを感じているかもしれないのだけど、それを話題に出してくることは決してしないおかんなのであります。

 

そんなこんなで、「〇〇(パートナー)をおいておちおち買い物なんかしてられへん」というおとんに、ちょっとは手作りのものを食べさせてあげようと、なんとも涙ぐましい「ええ娘」のわたしは、おかんのいえの大掃除の翌日、おとんのところにおでんと稲荷ずしと、福島から届いたおいしいりんごを届けに行きましたとさ。おとんも、おかん同様、いやそれ以上に喜んで(でも表現はからっきしダメね、会話も大して弾まない)、お小遣いなんてもらいました。

 

そして、最後はおかん一族のお墓の掃除。盆と正月ぐらいしか行かない、無精者でごめんなさいね。だけど、これ、結構大変よ。この伝統、この文化、この先の日本でどれだけ維持継続できるのかと、ちょっと考えさせられる。だけど、無心でお墓を掃除していると、どことなく、なんとなく、心が清らかになるような気がしなくもないのが不思議なものでも、ある。

 

そんなこんなの年末を経て、本日は、おかんのいえへ「新年のご挨拶」。

去年から、潔く諦めて注文することにしたおせち料理を提げて、相棒ちゃんと一緒におかんを訪ねている。おいしいものをつまみながら、おかんのご機嫌をとって、今年一年の無事を祈ろう(笑)。

 

正直、仕事してるよりも疲れたこの数日のような気がするけど、でも、なんていうか、「生きている」こと、「生きていく」ことを実感するひとときであり、支え合っていくことのあたたかさや、面倒くささ、煩わしさ、でも放っておけない、そういうごちゃまぜの「意味」を噛みしめる瞬間の数々、だった。

 

こんなふうに、あいかわらず「がさつ」なわたしと、わたしの周辺ではありますが、今年もどうぞみなさんよろしくお願いいたします。

 

腹立つこと、理不尽さに歯ぎしりしたくなることが毎日ありまくりですが、そんななかでも、心が通うやりとりを、この空間でしていけたら、とてもしあわせです。

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