のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

おかんのカーディガン。

うちのおかんは、めっちゃ小柄です。

身長145cmぐらい(もっと縮んでるかもね)。だから手も足も、短い(笑)。そして足のサイズも20.5~21cmと非常にちっちゃい。

 

わたしが小学生の頃だから、おかんは30代後半から40代はじめ、その頃のおかんの姿で印象に残っているのは「いっつもおんなじ服着てる」っていうこと。もちろん洗濯はしてたと思うけど、たとえば上着、たとえばセーター、たとえばズボン、同じものしか記憶にない。

 

それは、Sサイズの服がほとんど流通していなかったこともあるだろうけど、「自分のおしゃれなんかかまってる暇もお金もない」というのが本当の理由だったと思う。シングルマザーでありながら、仕事だけでなく、社会運動に没頭していたおかんは、まさに「着たきり雀」だった。

 

私がおとなになって、自分で稼ぐようになり、相棒ちゃんを産んだあと、おかんに続きシングルマザーになって(笑)、おかんの家にパラサイトしながら、でも、経済は自由になったので、そこからは、わたしがおかんの「おしゃれ番長」になった。つまり、わたしが洋服を見つくろっておかんに「これとこれを合わせる」とか指南する役。おかんに任せておくと「そんな高いのはあかん」とか「それと似たのを持ってる」とか言って、なかなか買わないので、わたしが勝手に買ってきておかんに押し付ける、というスタイルを長く続けている。

 

ところで、おかんは「暮らす」ことに徹底して丁寧だ。現役を引退したいまは、時間に余裕があるので、その徹底ぶりにさらに磨きがかかっている。洗濯はほとんど「手洗い」。食事は厳格なオーガニックの宅配で毎週注文して、水にもこだわって、本当に安全なものを食べ、わたしたちにも食べさせる。掃除もそれはそれは丁寧にぞうきんがけをするし、「原発を稼働する理由にさせない」と言って、夏の暑さ対策にも余念がない。本当に「こだわりの人」だし「実践の人」だと思う。活動家全盛期のおかんがいつも言っていた。「暮らしをちゃんとできへん人間はホンモノの活動家とちゃうで。だからでっかい組合の男の幹部はあかんねん。どんなに立派なスローガン掲げても、家に帰ったらふんぞり返って妻に偉そうにしてたら、それで終了!!」(笑)。

 

話が逸れてしまった。

そんなわけで、現在のおかんのクローゼットは、かわいい服でいっぱい。だけど、どんなに大事にしていても経年劣化はしていくわけで、「それ、そろそろお暇をあげてもいいんじゃないの?」と思うアイテムを時々見かける。でも、おかんは誰かに譲ってあげたりするほかは、「捨てる」ということをしない。「これ、好きやから」とか「あんたが買うてくれたから」とか言って手離さない。

 

こないだおかんの家に泊まりに行ったとき、台所に立つおかんが着ていたカーディガンは、もう笑っちゃうぐらいの傷み具合だった。肘におっきい穴があいて、縄編みの編み目も伸び伸びになっちゃって、かわいそうなぐらい。一応「もうさよならしてええんちゃう?」と声をかけてみたけど、案の定「あかん」と。「これは袖が短くて冬の割烹着的に役立ってるから、捨てへん」のだそうだ。

 

こりゃ、もう、わたしの出番だな、と思った。

 

「修繕しよか」と提案したら大喜び。「それ、たのむわ」と即答。

 

で、やってみたのがダーニングという手法。

細い細い毛糸で、穴のあいた部分に刺繍をするかんじで繕っていく。裏にあて布をして補強して、毛糸はグラデーションで色を変えながら、お絵描きするみたいに針を刺していくのはとても楽しい。型紙も、下絵も、なにもなし、行き当たりばったり。これ、ほんと、わたしの性格にぴったりの方法だと思う。

 

ちなみに裏側はこんなかんじ。ゴマ塩みたいで、これはこれで気に入っている。

 

ダーニングが上手なひとの作品は、もっとふわっとしていて、やわらかいかんじなのだけど、わたしがやると、なぜかぎちぎちのガチガチに固い(笑)。丈夫なのが取り柄、みたいなかんじ。でも、丈夫なのは大事よね、と自分で納得。

 

両肘、こんなかんじになった。

 

おかんに届けたら、えらく喜んでくれた。

「こらエエわ。最高最高。まだまだ着られる」だそうな(笑)。

そんなに喜んでくれて、わたしもうれしい。捨ててしまうのは簡単だけど、やっぱりね、活かせるものは最後まで活かしたい。その手間をかけてこそ、わたしもおかんの娘といえるのだろうな・・・と、おかんにナイショで、少しウルっとしたのでありました。

 

・・・という、ちょっと長いお話、おしまい。