のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

選ぶ人間を間違えてはいけない(追伸あり)

冒頭に追伸を。

 

このブログを読んでくださる方たちも、そして人びとも、医療従事者に対して労いの気持ちをもってくださってることはよくわかっているつもりなんです。わたしがこの記事をぶつけるべき相手は、政策をつくって、「おろして」くる人たちだというのもわかっていて、でも、なんというか、書かずにいられなくて、思いのままを書きました。だから、心配してくれている人にいやな気持ちにさせてしまうかもしれなくて、それは申し訳ないなと思うのですが、でも、それでも書くのは、やっぱり、このいまの政治のおかしさを、自分の立ってる場所から、言葉にしないと、と思ったからです。医療を守ることは、みんなの命を守ることです。戦争の備えをして、相手を威嚇したり追い詰めたりする前に、目の前の、この国に暮らしている人の命を守れと言いたいです。防衛費のための増税なんて、とんでもなさすぎて、呆れるというより恐ろしい。その前に、コロナになったひとも、そのひとをケアするひとも、安心して、人間らしくいられる体制をつくってほしい。人間を、守ってほしいです。

 

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(ここからがゆうべ書いた本文です)

病院の外来にも、スタッフにも、入院患者さんにも、デイサービスの利用者さんにも、コロナが拡がっている。私自身も体調不良で今日検査を受けた。今日は陰性だったけど、心配は尽きない。

 

何度も書くけど、わたしが働く病院はコロナ病院ではない。だけど、だからこその大変さがある。隔離してもお部屋から出てきてしまう認知症のコロナ患者さんと、コロナ以外の病気で入院している患者さんを同じフロアで看護している。看護師も、「コロナ部屋専属」をつくれるほどの余裕はとてもとてもないので、ガウンや手袋を何度も交換しながら陽性者もそうでない患者さんもひとりの看護師が担当している。正直、この環境で、感染が拡大することを、止められない。開き直るわけではないけど、でも、「看護師が感染を横に拡げている」と批判されるのは、あまりに理不尽だと思う。そうでなくても現場のスタッフは陽性者が増えるたびに「私のせいかもしれない」と心を痛めている。ひとり欠け、ふたり欠けていく現場で、今日の看護を成り立たせてくれているスタッフたちを見ながら、これ以上を求めるのは本当にやめてほしいと思う。(これは、個人に向けて書いているのではありません。)間違っているのは、無策ないまの政権。わたしたちは、犠牲者だと思う。

 

でも、なぜこうなったのか。

 

それは、わたしたちが、選ぶ人間を間違えたから。

 

あるいは、選べる権利を行使しなかったから。

 

コロナはまだまだ拡がると思う。そして、医療現場はどんどん疲弊していくと思う。

 

防衛費なんかより、もっと人間を守るためのお金の使い道がある。危機を煽って、武器商人を儲けさせて、そしてその見返りに権力の座に居座り続けることだけ考えてるような人間を、政党を、選んではいけない。

 

その選択は、わたしたちの命に直結する。選択を間違えたら、本当に、命にかかわる。

 

ちっちゃい病院から、声を大にして、伝えたいです。