のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

手仕事たっぷりの、この頃。

ゴールデンウィーク、終わりました。
カレンダーどおりだったので10連休ではなかったけど、でも、日常とは少し時間のゆったり感が違う日々でした。


最近の日々をひと言で振り返ると「手仕事たっぷり」。


わたし自身の「手仕事」、友だちの「手仕事」。


お写真多めでご紹介。


「友だち便」で、季節の味をたくさんいただいている。


それはそれは、さぞかし手間暇がかかっているだろうに、惜しげもなく、箱いっぱいに送ってくれる。目下、送ってくれる友だちのお悩みは「お値段設定」らしいのだけど、わたしは声を大にして言いたい。大地の恵みと、その恵みを生み出すための手間暇と、農業のいまと未来への熱い想いに、堂々と「まっとうなお値段」をつけてほしい。都会に暮らして、土に触れることもほとんどなく、収穫して土をおとして、ほぼほぼ「どうぞ召し上がれ」の状態でお野菜やお米を手にしている私たちは、土を耕す人びとと、ちゃんと一緒に、わたしたちの農業を大切にしていかなくちゃ、と思う。大切にするということは、お金を伴うものだということを、ちゃんと実感する機会としても、彼女と創めた「友だち便」は、ものすごく意味が大きくて深いと感じている日々であります。


ところで、わたしは、このブログのアイコンでもお馴染みだけど、大のスナフキン好き。好き、というか、敬愛してやまない。そのスナフキンが、ある日、額縁におさまって、我が家にやってきた。

これには、思わず感嘆の声をあげてしまった。まるで彼が川に架かった橋の欄干に腰かけて吹くハーモニカが聴こえてきそうな、なんとも素晴らしい刺繍の額縁。

これを作ってくれた友だちが、費やしてくれた時間と、気持ちと、その「手」や「指」に感謝して、毎日眺めたおしている。一番お気に入りの本棚に飾って、「ほっこり」よりはもうちょっとアツい気持ちで朝に夕に、話しかけるみたいに眺めている。なんとありがたい人と人との縁だろう。友だちのことで、知っていることより、知らないことのほうが圧倒的に多いはずなのだけど、なんとなく、大事なところで糸電話が繋がってるみたいに思えている。


それと、ゴールデンウィークに行った奈良散歩。いつものあんみつ屋さんで、いつものあんみつを戴いた。

変わらない安定の「あんこのおいしさ」を作り出すお姉さんの、立ち姿からしてまるで映画のワンシーン。無駄なものは何もなく、そして必要なものはすべて揃っている、そんなお店の空間に居るだけでも豊かな気持ちになれる。寒い冬の日でも、汗をかきかきの真夏でも、そして新緑薫る5月にも、最高においしい「あんこ」。まことにおいしゅうございまするです。


そして、そのような「手仕事」と、そこに籠められた「きもち」を受け取りながら、わたしも「手仕事」に精を出している。


遠目に見ても逞しい手でありましょう?(笑)

相棒ちゃんのお弁当包みを作って、その次は、頑固一徹おかんへの母の日のプレゼントに、会津木綿やいろんな古布をつかったコースターを作ってみた。おかんは大層喜んで、食器棚からいろんなカップを取り出して、組み合わせを楽しんでいた。そうなのだよ、こういう豊かなゆっくりしたひとときを、おかんにこそ過ごしてほしい。それを伝えるには、拙いわたしの「手仕事」がぴったりだと再確認した次第。自分用にもいろいろ作ってみてる。インドの人たちが暮らしのなかで布を大切に大切に「使い切る」ためのラリーキルト。表も裏も、どっちも「表」。どこを切り取っても美しい布を、大事に大事に縫い合わせてコースターを作ってみた。ガラスのカップにものすごく映えて、紅茶の味まで変えてしまう。名古屋帯を我ながら上手に活用したブックカバーもお気に入り。こんなふうに活用すれば、着物を着る機会のないわたしでも、「和の手仕事」を愉しむことができます。実に豊かだな。


そんなふうに、「手仕事」たっぷりの最近。とても穏やかで、ゆるやかで、心地よかったけど、でも、同じ時間を、まったく違う世界のなかで生きる人たちがいることを、ふとした瞬間に考えて、いる。そんなこの頃。