のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

台所は、こころの城、なのだ。

こんにちは。

 

「のんちゃん、おいしいもん食べて、元気でがんばれ!!」と友だちが送ってくれたお寿司があまりにおいしかったから、そして、友だちの、その「ココロ」があまりにもうれしくて、昨日、お寿司をひと切れ携えて頑固一徹おかんのところに泊まりに行きました。で、今朝は、おかんの家から出勤しました。

 

おかんは、お裾分けのお寿司をものすごくおいしそうにいただいてました。そして、「あんた、そんなありがたいことしてくれるひと、いてるんかいな。そら、感謝せなあかんで」とビールを片手に満足げに申しておりました。

 

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わたしもそう思うよ。ほんとに、なかなかできることじゃない。どんな気持ちで、どんなふうに、この荷造りをしてくれたのかなぁって、泣きそうになりながら、届いた段ボールを開けたもの。詰めてくれていたものの一つ一つを隅々まで眺めたおして、そして、ひとつずつゆっくり味わうひとときをもらいました。もちろん、元気でがんばりますとも!!そうしなくっちゃ、バチがあたるよ、まったく。本当に、感謝感謝、感謝なのです。

 

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それと、もうひとつ、おかんのところに泊まったのは、おかんとの付き合い方について、わたしなりに、ひとつ、大きな気付きがあって、その気付きをベースに、「善は急げ」で実践してみようと思ったからなのでした。

 

 

最近、おかんが我が家(といっても、何度か書いているとおり、もとはおかんの家なのですよ。おかんに代わってわたしと相棒ちゃんが暮らすようになり、そして一昨年の初夏、台所を中心に大リフォームを行い、現在に至る、です)に泊まりにくる度に、おかんも何となく落ち着かず、わたしはそういうおかんを見ながら、そして何となく漂う「しっくりこない」空気を感じながら、ずっと悶々と、くイライラとしていたのです。そういうわけだから、おかんが帰ったあとは大袈裟じゃなく2,3日心が疲れて「使いモンにならない」のですよ(笑)。

 

なぜそうなるのか、ということについて、私なりに考えるところはあって、いくつかの対処をしてもみたのだけど、でも、なんとなく、一向に明るい光が見えてこない。これはやっぱり、根本的に、わたしがおかんのことを好きになれないから、なのかもしれないなぁ、って、ちょっとさみしい結論を自ら導き出したりもしながら、「で、次に泊まりに来るときは、どうしたらいいのだろう」と悩んでもおりました。

 

でね、つい最近、ふと思ったのです。

 

「台所のリフォームのせいじゃないかな」と。

 

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おかんは、この家を、定年退職直前に建てました。仕事をしながらのことだったので、「信頼できる大工さん任せ」にはなっていたけど、でも、思い入れをもって建てました。

 

そして、おかんが一番時間を過ごしてきたのはダイニングテーブルを含む、台所だったと思います。使いにくいところもたくさんあったけど、でも、やっぱり、おかんにとっては大事な大事な場所だったのだと思う。

 

この家をわたしが譲り受けるにあたり、自分の暮らしのまんなかに置きたい台所を、思い切って大リフォームすることに決めて、もちろんそのことにおかんも全面賛同して、清水の舞台から何度も飛び降りるぐらい、お財布をすっからかんにして、あたらしい台所を完成させました。

 

その台所は、レイアウトも、カウンターの高さも、ガスレンジのつくりも、ありとあらゆるものが、「のんちゃん仕様」になりました。わたしよりも身長が10センチ以上低いおかんは、「わたし、届かへんから、ここに来たら、な~んにもせんと上げ膳据え膳でいただきますわ」と言って、実際、出来あがった料理を運ぶ程度はするけど、台所に立って洗い物をしたり、ましてごはんを作ることは一度もしないまま、今日に至ります。

 

そのことにわたしは何ら疑問を持たずにきました。おかんも、そのことに言及したことはありませんでした。

 

でもね、こないだ、台所を片付けて、カウンターを拭きあげて、「あぁ、すっきりした。サイコー」って思った瞬間、「あっ!」と気付いてしまったのですよ。

 

「おかんの台所は、この家から消えてしまったんだな」って・・・。

 

仕事の虫なだけでなく、世の中に物申すことをずっと止めずにパワフルに続けてきたおかんは、それでも「食べること」にはすごくこだわってきたひとです。そして、台所は、おかんが、うれしさや楽しさ、怒りや悲しみを、ビールや料理と一緒に噛みしめてきた場所でもあるのです。その場所が、原形をとどめないほどに、すっかり様変わりしてしまったのです。

 

だからおかんは、うちに来たら、なんだか落ち着かなくなる。居心地がよくなさそうで、手持無沙汰で、時間を持て余して、どこか、困っている。そうなんだ、きっと。

 そして同時に、いま暮らしている場所の台所が、かつての台所ほど、おかんのなかで豊かに機能していないのかもしれない。そんなふうに思えたのです。

 

そうだとすると、いくら手厚くおかんを我が家にお迎えしても、「何かが足りない」のですよ。むしろ、いまのおかんの台所に、わたしや相棒ちゃんが出向くほうが、おかんが「でーん」としていられるに違いない。

 

ゆうべ、おかんの家の、おかんの台所で、おかんが作ってくれたすき焼きを、ふたりで囲みながら、わたしは「やっぱり、わたしの思ったこと、当たってた」と思いました。そして、そのことをおかんに話しました。

 

話しながら、自分で、さらに確信したことがあり、そして、それを表すのにぴったりのことばが見つかったので、そのことばで締めくくりました。

 

母さん、台所って、「こころの城」なんよ。

だから、母さんは、この台所にどっしり居て。

わたしと〇〇(相棒ちゃん)がここに来るから。

 

もちろん、「おんな=台所」っていう公式はわたしのなかにはありません。そのひとにとって、一番大事な場所があると思うから。うちは、おかんもわたしも台所がその場所。だから、わたしも自分の「こころの城」を、これからも大事に、大事に、お掃除でピカピカにするのは自信がないですが(笑)、でも、わたしという人間を、この場所で育てていきたいと、すごく、そう思います。

 

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朝ごはん、おかんとふたりで準備して、ゆったりいただきました。自分の家から仕事場までは渋滞にも巻き込まれて1時間近くかかるのだけど、おかんの家からなら車で10分ちょっと。朝、ゆっくり起きれて、おかんと一緒にコーヒーを飲めて、しかも、お忘れになるなかれ(笑)、大好きなステレオもこっちに引っ越してますのでね。すんばらしい音で、レコード聴きながら、です。

 

一筋縄でいかない頑固一徹おかんですが、でもね、やっぱり、ひとりしかいないおかんなのよ。だから、やっぱりちゃんとつきあっていきたいと思っています。

 

そして、お互いの「こころの城」に、お互いが敬意をはらって、そして大事にし合える。そんな母と娘を目指して、実際にはもう何十年もはないと思う時間を、一緒に送っていきたいと、そんなことを考えているわたくしなのでありました。

 

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