ゆうべから、2泊3日で頑固一徹おかんが泊まりにきてる。だから、というわけではないけど(笑)、仕事前に豆乳ラテを飲みに来た。
いつも読ませていただくブログに「看護師をまもろう」というネット署名が載っていた。
なんだろうな、この、たった8文字に、自分でも戸惑うほど、泣けてきた。
あぁ、思ってるよりも、わたし、張りつめているんだな、と思った。
自覚しているよりも、ずっと、悔しいのだ、とも思った。
詳しくは書けないけど、コロナをめぐって、ひとの「やさしくなさ」に窓口のスタッフたちがさらされている。もちろん、押しかけてくる人たちが不安なのは想像する。だけど、その不安や閉塞した気持ちを、乱暴にぶつけてくるのは、やっぱり何か違うと思う。
あるいは、国の「何がなんでも7月には終わらせて」という圧力を、やわらかい「お願い」という言葉で包んで届けてくる自治体や保健所のありようも、やっぱり、おかしいと思う。
「医療崩壊」と言われるのが、現場にいるひとりとして、ものすごくしんどい。
崩壊はしてない。
崩壊はさせない。
崩壊するかもしれないのは、終わりの見えない混乱のなかで、それでも持ちこたえて、それでもやっていこうとする人びとを思うことができる「想像力」なんじゃないのか。
そして、その崩壊を加速させているのが、「医療崩壊」を、まるでとても心配しているみたいな顔をして、声高に取り上げる者たちじゃないのか。
不安を煽って、「乗り遅れちゃいけない」と、みんなを殺気だたせて、そのどさくさを、狡猾に利用しようとしてるんじゃないのか。
「看護師をまもろう」。
そう思える、ひとの「こころ」を、まもろう。
崩壊なんて、しない。