のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

開かれた、門。

こんにちは。

 

昨日の夕方の出来事。

 

いつも愛でさせてもらっているお庭のご主人さまと、久しぶりにお家の門の前でばったり。

 

「バラ、綺麗に咲きましたね。またタダで眺めさせてもらってます」と、あいさつのあとに私が続けると、

 

「看護師さん、ちょっと1分だけ、見て行って」と、門の中に入れて下さいました。中に入ると、ものすごくかわいい薄ピンクのバラが、満開になっています。

 

「満開すぎて、自分で枝を支えられへんから、かわいそうやねんけどね、でも、きれいに咲いたでしょ? 来年はもうちょっと工夫して、もっときれいにするからね」と。

 

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もちろん詳しくは書きませんが、この「お庭のご主人さま」は、数年前まで夫さんをおひとりで介護なさってました。「ひとに助けてもらうもんじゃない」って、ご自身も、周囲の方も思っておられたんですよね。

 

それが、ちょっとしたきっかけで、訪問看護にうかがえることになり、そこからいろんなことが大きく動き出しました。

 

一番おおきかったのは、「門が開かれたこと」だったと思っています。

 

ものすごく立派なお家で、門扉からおうちの玄関まで10メートル以上はあります。完璧に整えられた、そのお庭からは、なかの様子、ましてや、そこで介護なさってる方の孤独や苦悩は、まったく見えませんでした。

 

きっと、家のなかに他人が入ることに、大きな抵抗や葛藤があられたと思うけれど、でも、それを決断してくださり、関わらせてもらえたことで、その「お庭のご主人」の、こころの門が開かれたと、わたしは思っています。

 

ほんのすこし前まで、介護について話せる場所も、助けてもらえるひとも、ほとんどない時代が長くありました。相談したり、ましてや弱音を吐いたり、人様に任せるなんて、とんでもないという時代がありました。

 

「介護はプロに任せてもいい」という時代になっても、まだまだ「家族のなかですべきこと」という価値観は根強く残っていると感じます。

 

あの、「家のなか(介護の葛藤、悩み、苦労)は見せません」というオーラを全身から醸し出していた「お庭のご主人」が、こんなふうに私に声をかけてくれて、門を開いて中に招き入れてくれるなんて・・・。

 

見せてくださったのは、もちろん、きれいなバラなんだけど、でも、彼女の変化にちょっとこみ上げるものがあったんですよね。

 

来年は、これよりもっと(いまで十分なんだけど)きれいなお庭を、また見せてもらえるのかな。うれしいな。楽しみだな。

 

わくわくしながら、次の季節を待ちたいと思います。

 

それとね、「看護師さん」って呼ばれたのも、すごくうれしかったです。訪問看護をさせてもらってたときのわたしを、呼んでくださった気がして、すごく、すごくうれしかったです。

 

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