のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

舞台袖に、いてくれたひと。

おはようございます。

 

今年は例年にまして「お盆」なかんじがまったくしない。そのため、「お墓のお掃除」をすっかり忘れてしまっていた。みなさんのブログでぽつぽつとその話題が書かれていたにもかかわらず、「我がコト」としてまったく受け止められてなくて、今朝、出勤して、何気ないことからふと気が付き、そして俄かに焦っているところです。

 

うちの頑固一徹おかんは、「近くの親戚より遠くの友だち」を貫いてきたひとで、その煽りをうけたわたしは、「一族」(この考え方はまったく好きではないのだけど、説明の便宜上使わせてもらいます)の一員として、ちっちゃい頃から、少なからず「肩身の狭い思い」をした憶えがあります。おかんからは、「わたしが死んでも、親戚はいっさい呼ばんといてほしい」などと極端なことをすでに「言い遺し」されていて、ほんとに、そのときがきたら、どうしたものかと、こんなピンチのくせに、先々のことまで芋づる式に不安になり、ブルーさが増している、わたし。

 

そりゃ、わたしも、じぶんがいまここにあることの根っこをつくってくれたひとたちへの感謝がまったくないわけではないのですが、正直なおはなし、いままでの人生で、ご先祖さんに深く感謝して、忘れることなくお盆などの営みをすすんでしてきたかというと、恥ずかしながら、そんなことはちっともできてこなかった。むしろ、そういうことに価値を見出さないおかんの存在によって、いつにもまして、親戚のなかで「肩身が狭い週間」だったので、鬱々としながら過ごす、それが「お盆」だったのです。

 

そして、今年の結論としては、今日のうちにお墓にお供えするお花を買っておき、明日の早朝、仕事の前に、わたしと相棒ちゃんでお墓へ行ってくることにしました。おかんは、「お花」と「お供え」調達担当。歳をとってきたおかんは、若干「ひねくれ度」が増しておりまして・・・、調達担当と、現地担当を分けるのにも、「ややこしさ」が5割増しぐらいになってましたが、それでも、これはわたしの役割だなと、少なくともその自覚は、完全に忘却も、拒否も、していないのであります。

 

まぁね、うちの相棒ちゃんに、こういう、ドロドロっとしたことを見せてしまうのが、複雑ではあるのだけど、でも、看護師をめざしている相棒ちゃんなので、これもひとつの学びかもしれないな、と思うのです。やっぱりね、患者さんの数だけ、「家族のありよう」って違う。どれが正解とか、間違いとか、ひとが決められるもんじゃない。そのなかで、わたしたち(看護師)に何ができるか、どんな目配りや気配りや手当てができるのか、それって、看護師になってから勉強するものではないと思うんです。実際わたしは、なかなかに「やりにくい」頑固一徹おかんの娘として、ほかの子なら経験しなかったかもしれないことにいくつも直面してきて、それ自体は、思い出したくないなっていうことも少なくないけど、でも、だからこそ気付いてあげられたこと、いろいろありました。だから、明日のお墓の掃除も、一緒にがんばってもらおうと思ってます。

 

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前置きが、本文みたいに長くなってしまいました。

 

あの・・・、きのう書いた「ポール似の、同級生のジャズマン」のはなし、ね(笑)。

 

一番、その彼がやさしかったときのことを、ちょっとニヤけながら、書いておきます。忘れちゃったらもったいないから。

 

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中学3年生のとき、地元の市民会館のホールで、音楽好きが集まってライブをやりました。わたしは、かなりのやんちゃで、このライブを企画するメンバーからは外れていたと思うのだけど、ポール似の彼(以下Mくん)がその中心人物で、きっと、彼が声をかけてくれたんじゃないかな、と思う。そこ、あんまりちゃんと想い出せないです。

 

バンドがいくつもあって、Mくんはオフコースのカバーをやるバンド、わたしはキーボードをちょっとだけ頼まれたのがいくつか、そして自分はソロで出ました。きっと何曲かは歌ったはずだけど、記憶に残っているのは1曲だけ。


渡辺美里 きみに会えて

 

この曲はぜんぜんアップテンポでなく、みさっちゃん(美里ちゃん)のナンバーのなかでは、ノリノリの「ライブ向き」ではなかったかもしれないのだけど、わたしはこの曲が大好きで、グランドピアノで弾き語りで歌わせてもらいました。

 

何曲か歌ったうち、最後にこの曲を歌いました。動画を観ていただくとわかるかもしれないけど、曲の最後の最後、転調して、キーが上がるところがあるんですね。わたしもこのとおりに歌うつもりでいました。

 

なのだけど、きっと緊張していたんでしょうね。転調するときのピアノを弾き間違えて、めっちゃ高いキーに転調してしまったんです。なんとか歌える範囲ではあったけど、わたしはショックでショックで。でも歌い切らなきゃ、もっと悔しいから、必死に歌い切った。そして、舞台の袖にハケた・・・・。

 

そしたら、そのMくんが、そこにいたのですよ。

 

わたしは、一番大事なところでミスっちゃったことが悔しくて、悔しくて、それと、せっかく自分に声をかけてくれたMくんに恥ずかしい気持ちもあったし、とにかくめっちゃ凹んで戻っていった。そしたら、Mくんが「よかったやんか」と言ったんです。わたしが「よくないわ。最後転調のとこ、間違えて、めっちゃおかしいことになってしまった。最悪や」みたいなことを言ったら、「あんな、そんなん絶対聴いてるひとにはわからへん。大丈夫や。ぼくだって気づかへんかった」って言いました。

 

そんなはずないんですよ。Mくんは、それこそ、その時点でも「このひと、音楽を人生のなかに大きく位置付けて歩いていくんやろな」って思わせる何かが光ってるひとだった。弾くピアノの音色は、ひとと全然違ってた。そのMくんが、あの転調ミスに気付かないわけがない。それでも、頑として、そう言い張って、「だから、よかったんやってば」って、何度も何度も言ってくれました。

 

たったそれだけのことやけどね、そのとき、別にお互いのこと、好きとか、そういう感情、全然なかったけどね、でも、それこそ30年以上経っても忘れずに、わたしのなかにちゃんと残ってる。いまでもわたしをどこかで支えてくれてる気がします。

 

Mくんとはねぇ、そのあと、もうちょっとおっきくなってから、もう1回だけ接点がありました。その接点は、すこし距離が近かったです。それゆえ、ちょっと終わりも切なかったです。でも、思い出したくないひとではない。だから、昨日の「若い日のポール」が、Mくんに見えちゃったのでしょう(笑)。

 

Mくん、このたびは友情出演ありがとう。

 

いま、どないしてますか?

 

あんとき、舞台袖にいてくれて、ありがとう。

 

なかなかに、すばらしい、想い出だよ。