のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

薄いカレーの話、ほか。

こんばんは。

うちの今日の夕飯は、カレーです。

安上がりに豚ミンチで作りました。豚ミンチ、にんじん、玉ねぎ、以上!!カレールーは、いつもの「コスモ直火焼き りんごカレー・ルー甘口」です。圧力鍋で野菜が柔らかくなるまで煮て、野菜からのスープもしっかり出して、仕上げます。

 

カレーといえば、いつも思い出す話があります。

 

うちのおかんの両親のはなしです。

 

うちのおかんの家は、ものすごく貧乏でした。戦争末期は、ほかのおうちの多くがそうだったように、白いご飯なんて食べられなくて、戦争に敗けてからも、しばらくは「まともなもんを食べてない」そうです。「白ごはんを、いつから日常的に食べられるようになった?」と訊いても、あんまり明確な答えは返ってこないのだけど、きっと、随分経ってからじゃないかな、と想像します。

 

おかんは高校も定時制。テレビをつくるベルトコンベアーに向かって、一日中、小さい部品を取り付ける仕事をしていたそうです。そして、終業のベルと同時に、大急ぎで着替えて、定時制高校に向かって、最短距離の「国鉄の線路の上」を走って、毎日通っていました。授業前に夕飯をゆっくり食べる時間的余裕も、経済的余裕もなかったから、「大判焼き(回転焼き)」を1つだけ買って、冷めないようにポケットで温めながら、線路の上を全力で走ったんだそうです。

 

高校の正門に辿り着くと、「きれいな制服を着た、昼間の高校生が下校していくねん。それと逆に、毎日おんなじ服を着て、へとへとになって駆け込んでいく自分が、ものすごいイヤやった」と、何回も聞きました。

 

おかんは、娘のわたしが言うのもなんだけど、とても感性の豊かなひとです。だから、きっとじっくり勉強できる環境があったら、文学も、歴史も、芸術も、もっともっと知りたいことがたくさんあって、それを吸収できたら、もっと違う人生があったんじゃないかと思うけど、とにかく「家にお金を入れなあかんかった」ので、映画にも、音楽にも、ろくに触れることなく、一番多感で、一番美しい時代をがむしゃらに生きてきました。

 

そういうおかんの家に、ある日、定時制高校の友だちが予告なしに訪ねてきました。その日、おかんの家は、カレーでした。わりと御馳走の部類で、おかんもとても楽しみにしていました。ご飯時だったので、「一緒に食べていきなさい」ってことになって、しかし、カレーは家族の分ギリギリの量しかない。

 

そこで、おかんのお母さん(つまり、わたしのばあちゃん)は、お水を足して、カレーのルーの量を増やし、シャバシャバになったルーに、片栗粉を入れてとろみをつけ、お塩やほかの調味料で味を足して、友だちも一緒にお膳を囲んだのだそう。

 

「もちろん、味は格段に落ちて、いつもの、楽しみにしてたカレーとは全然違ったけど、でも、あぁ、こうやって、どんなに少しずつでも分け合ってみんなで食べるもんなんやなぁと、両親のことをものすごく誇りに思ったんや」。

 

おかんは、この話をすると、おおよそいつも声が震えて、泣きます。わたしも、泣きます。ほんとにひもじい思いを経験したひとが、それでも「友だちも一緒に」食べるために、そうやって「分け合う」って、すごいことやと思います。

 

おかんは、そういう両親のもとで育ったのと、もちろん、彼女自身の自我の形成、思想の確立ののち、おなじように、いろんなひとを、普通に、当たり前みたいに支えてきました。

 

あるときは、夫のDVにあった職場の後輩を、赤ちゃんと3歳ぐらいの子どもも一緒に「うちにおいで」と言って連れてきました。わたしと弟は面食らいましたが、その後、半年ぐらい、我が家が、いまでいう「シェルター」になりました。ある夜、夫である男性が、「嫁はんと子どもを返せ」と言って怒鳴り込んできたけど、おかんは、玄関に仁王立ちで「帰りなさい!!」と追い返しました。夜中、子どもたちが2人とも、夜泣きがひどくて、弟もわたしも、ちょっと辛かったけど、いま思えば、おかんの実践は、すごいものがありました。

 

逆にわたしと弟は、忙しいおかんが夜遅くなる日は、おかんの友だちによる「お泊り保育」で育ててもらったようなところがあります。男性も女性も、おかんの友だち、後輩が代わる代わる泊まりに来てくれて、ご飯をつくって一緒に食べてくれて、お風呂も一緒にはいって、寝るときは、おなかを「トントン」までしてもらいました。あのときに、作ってもらったメニュー、いまでも真似して作るときがあります。おなかの「トントン」は、感触まで憶えてる。感謝してもしきれない、あったかい愛情をもらいました。

 

おかんの娘であるわたし ―――。

 

ちょっと毛色は違うけど(笑)、でも、どこかで、ばあちゃんの、おかんの、その「哲学」みたいなものを受け継いでいるのかもしれないな、と思うときがあります。

 

ここ1週間ぐらいで、ほぼ本決まりになったのですが、来年の春から、うちに、アラフォー女子の「下宿人さん」が仲間入りすることになりそうです。大阪で、どうしてもしたい仕事があって、でも、おそらくものすごく薄給。住むところをどうしようかと困っているというはなしを、友人から聞きました。しばらく考えていたんだけど、「うちに来たらどうかな?」って思って。娘に相談したら、二つ返事で賛同を得て、おかんに相談したら、「わたしは、そんなふうにあの家(もとはおかんが建てた家です)を使ってほしいとずっと思ってた。ぜひそうしたらいい」って、泣いてました。

 

わたしね、「家族」と「家族みたいな」とは違うんだなって、最近、ものすごく切実に思う出来事がありました。だけど、それでも、そのことをとおして、「家族」じゃなくても「支え合う」関係は大事にしていきたいなって、あらためて思ったんです。

 

だから、このおかんの家を、そんなふうに、開いて(拓いて)いきたい。わたしという人間も、開いて(拓いて)いきたいと思っています。

 

どんなふうに展開していくか、いろんな凸凹があると思うけど、喜怒哀楽があると思うけど、でも、やっぱり、わたしは、ひとのなかで生きていきたいし、暮らしていきたい。これからのわたしに、それってすごく必要なことだと、思っています。

 

さぁ、カレー食べよっと!!


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わたしのちいさい決心を、シェアしてくれてありがとうございます。

また、いろいろ、報告するね。


リンゴの甘煮が残ってたから、簡単ケーキ、焼きました。娘が「おいしすぎてヤバい」と申しております(笑)。


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