のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

他人さまに任せる。

こんばんは。

 

このブログに以前はよく登場しておりました、うちのおかんのこと、久しぶりにちょっと書いてみようと思います。

 

御年79歳。最近めっきり歳をとったなぁって感じています。わたし、一応看護師ですので、歳をとっていく不安とか、ちゃんと理解して、「転ばぬ先の杖」になるべきだよなぁって、頭ではわかっているんですけど、なかなか、そんなふうにできないんです。ぜんぜんやさしくないんですよ、わたし。で、そういう自分が自分でいやになって、落ち込んで、余計に意地悪になってしまいます。

 

その自分の「闇」をなんとかしようと思って、あれこれ、努力はしてみていますが、どうもうまくいきません。だから、思い切って、割り切ることにしました。

 

他人さまに、堂々と、お任せしよう。

 

家族でなければできないことと、家族だからこそうまくいかないこと、あると思うんです。職業柄、誰かのそういう状況に活路を見出すためのサポートをしてはきましたが、自分のこと、自分の親のこととなると、それとこれとは違って、おかんにも「あんた、ほんまに看護師か?そんなやさしくないのって、どうかしてる」と詰め寄られたことも一度や二度じゃなく、ありました。それを何とかしようと思って、どんどん自分を追い詰めるみたいになっていました。

 

だから、思い切って、日頃一緒に地域で協同している介護のプロのみんなにお願いしました。話をゆっくり聴いてもらうことに始まって、要介護状態でなくても受けられる、いろんなインフォーマルなサービスの導入、これからの相談。それこそ、ひと昔まえは、家族のなかで当たり前のようにやってきたことを、他人さまに任せることにしました。

 

そしたら、お互い気が楽になりました。ぎくしゃくしていた気持ちが、ちょっとほぐれてきました。しなくていい言い争いや、言わなくていい「ひとこと」を口にしなくなりました。これ、きっと、うちの高1の娘も気がついていると思います。

 

「なんでこんなに優しくないんだろう」って、自分のこと、だいぶ責めてました。落ち込みもしたし、いろんなことに波及して、どんよりしてしまっていたけど、ちょっとずつ、変わってきているように感じます。

 

もちろん、いずれ、本格的に介護が必要になったら、また状況も違ってくるとは思います。だからこそ、その前に、決定的に決裂してはいけないと思っています。

 

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おかんの父親(わたしの祖父)も、もちろん「おかんの父親」ですから、そりゃ、もう、強烈な頑固じじいでした(笑)。家族に対しては、あり得ないぐらい偏屈で、かわいくないじいさんでした。母はフルタイムで仕事をしていたうえに、社会的な活動もしていたので、祖父が要介護状態になったときも、介護の担い手としてはまったく活躍できないひとでした。それでもときどき、手料理を持って祖父を訪ねたりしましたが、性格が似たもの同士の父娘は、いつも衝突ばかりしていました。

 

そんな母を心配して、当時の母の友人たちが「わたしらがおじいちゃんの様子を見に行くよ」と言ってくれて、介護保険サービスなんかまったくない時代、母の友人による「ヘルパー体制」が構築され、祖父はとても幸せな時間を過ごさせてもらいました。「〇〇さん(祖父の苗字。おじいちゃん呼ばわりされることを嫌った祖父のことを尊重して、母の友人たちは必ず苗字で呼んでくれていました)、いっつもわたしらにやさしくしてくれて、労ってくれて、すばらしい人やね」とみなさんから”ヨイショ”してもらって、祖父はいつもご満悦。おかんも、自分ではできなくても、友人のちからを借りることで、「介護の担い手として使えない」という肩身の狭さから解放されて、ほんとにありがたかったと思います。

 

世代を継いで、今度はわたしが、そうやって他人さまにお任せすることにしました。そうすることで、時間にも、気持ちにも、すこしゆとりができたのだから、ちゃんと自分のために使おうと思ってます。

 

今日は、高1の娘のアルバイトデビュー。娘の帰りが遅い日は、わたしはひとりで夕飯を作って食べて、娘の帰りを待つことになります。貴重な「じぶん時間」を大切にしながら、気持ちも、からだも、少しゆったりさせてもらうつもりです。そうやって、ちょっとおいしいものでも作って、お弁当と一緒に「おまけ」の一品でも届けられたらいいな、と思っています。

 

今日の夕方、近くのスーパーに買い物に行ったとき、駐車場から見上げた空がきれいでした。「ほんとに秋だなぁ」と思う風が吹いていました。

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