のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

おかげさまで。

朝10時に訪ねた弁護士事務所。

 

わたしのなかで概ねこんなかんじで展開することになるのだろうか、と下調べして組み立てていた流れは、それこそ概ね弁護士さんの助言と合致していた。

 

「何かあった時のために」という使途を限定するかたちで父から予めお金を預かっておくことしか、この不安定で面倒で、過去との折り合いをつけにくいわたしの役割の後ろ盾になるものはない、ということをあらためてキレイに堂々と納得できたことが、本当によかった。

 

朝、走り書きのようなブログにエールをいただいて、ご機嫌さんでランチに向かった。

 

平日なのにこんなに若い子いるのねー、とびっくり。

 

なるべく静かに、ゆっくり食べたくて、ちょっと離れた場所のお店を選んだ。

 

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これでもかーー!!というほどに野菜たちが賑やかに自己主張してくるようなプレート。たくさんパワーをもらえた。

 

そのあとは本屋さんでゆっくり本を選んで、いつもはケチってなかなか食べないイタリアンジェラートのお店でマンゴーと日向夏を。

 

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明日はどうせ、またわからずやのじーさんに同じことを何度も話して生命力を吸い取られるに違いないから、もうちょっとだけ遊んで帰りまーす。

結局、終活まで代行か。

貴重な貴重な平日のお休みをとり、ことあと弁護士さんの事務所を訪ねる。

 

ブログに最近あまり登場していない、父のことで、もう、いよいよ、最終的なことまでわたしが主導するしかないな、と決断した。

 

つれあいさんの認知症はますますヘビーになってきていて、自分の人生の大事な意思決定は難しくなっている。おそらく、それがよくなることは、ない。

 

父本人も、健康なじーちゃん、というには程遠い。もともと厄介なことは後回し、人任せにしてきた人物なので、直近の約一年をかけて、破綻した老夫婦のマンション暮らしから有料老人ホームへの入所に、ヘトヘトになりながら誘導して、「ここまでやれば、あとは少しぐらい自力でやってちょうだい」と少し距離をおいていたのだけど、結局なにも進まない。だけでなく、つれあいさんの状況も含め、時間だけが虚しく過ぎている。

 

正直、養育責任を何ら果たしてもらっていない父と、その父が全力で依存しまくってきた歳上のつれあいさんのことを、なんで私が、と思うけど、最終、背を向けていたところで私にお鉢はまわってくる。

 

だから、潔く観念して、動きを再開することにした。

 

そして、ここで頑固一徹おかんが登場。

 

長い社会運動のなかで一緒に活動してきて弁護士さんにつないでくれた。

 

「夫婦の縁は切れても親子はそうはいかんなぁ」と自分が私にポロッと言ったことを、おかんはものすごく気にしていて、「ほんまは乗り込んでぶん殴りたい」と言いながら、弁護士さんに速攻もいいとこでつないでくれた。

 

離婚して、こんなに時間が経って、それでも元妻に結果的に支えてもらって、しかも娘に代行させて終活だなんて、ほんま、ええ加減にしてほしいわ。

 

今日は絶対おいしいランチを食べてやる!!

「今日はホッケ定食やで。」

昨日はしこたま焼肉をいただいた。

「お店が混んでて厨房が忙しいから」なのか、はたまた「あまりにガツガツいただくから」なのか、お肉を網にのせたらお皿がすぐに空っぽになって、その次がなかなか届かず、需要と供給のバランスが悪かった(笑)。幸せすぎて、相棒ちゃんと大満足で帰宅した。

 

明けて本日。

 

午後の仕事に精を出していたら、「お母さん、今日はヘルシーに和食です」と相棒ちゃんからお知らせが届いた。しかも写真付き。

 

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実は最近お台所を相棒ちゃんにお願いしている。少しばかりお給料もお渡しして、「家庭内バイト」みたいな感じ。献立も買い物も、お料理も後片付けもやってもらっている。

 

感謝の返信を送って、夕方帰宅したら、相棒ちゃんはホンモノのバイトに出かけてすでに不在。

 

冷蔵庫には「本日のメニュー」が貼り出されておりました。

 

焼きホッケ(焼いてね)

ほうれん草のおひたし

お味噌汁

冷奴

 

というのが正解なんだけど、これが大爆笑、「冷奴」が書けんのよ。

 

もー、呆れるのだが、

 

「冷や好っ子」やて。

 

アホ。

 

 

でも、おいしかったです。

ごちそうさまでした。

明日も、あさっても、よろしく!!

 

 

話して、辿り着いた名言。

先週の日曜日に会った、別の医療機関でナースのリーダーを務めるひと。彼女はパスタ、わたしはピザをメインにしたランチを注文して、楽しく食べながらたくさん語らった。

 

そういえば、マスクを外して話すのは初めてで、「あぁ、こんな表情で話すんだなぁ」と新鮮な発見もした。きっと彼女もそう感じていたことだろう。いろんなものを、こんなふうにコロナの嵐の中で削ぎ落としながらがんばってきたんだよな、と思うと、危うく泣けてしまいそうだった。

 

彼女が直面していた問題は、想像していたよりも難解ではあったけれども、2人で話しているうちに、突然視界がぱぁっと広がって、結局は、「やれることは、ちゃんとやり切ったから、あとは堂々と毅然としていよう」というところに行き着いた。

 

それと、彼女のさらに上司にあたる人がいて、その人との信頼関係を大切に育みながら進んでいこうという話になった。

 

で、食後のコーヒーを飲みながら、私が言ったひと言に、2人で大満足した。

 

「寄りかかったらあかんけど、頼ってもいい」

 

いやー、我ながら、イケてるやん、と思って2人で自画自賛しあって、笑いあった。

 

どしゃ降りのなかだったけど、爽やかに再会を約束して、お腹もこころも大満足で別れた。

 

で、翌朝、仕事前に彼女からメールがきて、笑ってしまった。

 

「昨日の名言、再確認させて」だって(笑)。

 

お互い、その後の1週間はいつものとおりバタバタで盛りだくさんすぎる日々だったけど、2人で話して辿り着いた名言が、いつも頭の隅っこにいてくれるので、がんばれたと思う。

 

さて、本日は、明日からの新学期、最終学年を迎える相棒ちゃんを激励するため、ジムからスーパー銭湯、シメは焼肉のコースに行って参ります。

言える人にしか、言えない。

昨日、ある席で、別の医療機関でリーダーをしているナースに久しぶりに会った。たまたま隣に座った。

 

「久しぶりー!!」と小さな声と小さなジェスチャーで喜び合って、でも会議の後はお互いまっしぐらで仕事に行かなければならなくて、あっという間に別れてしまった。

 

そしたら、ゆうべ、彼女からメールが届いた。

 

久しぶりに顔を見られてうれしかったのに話す時間がなくて残念だったこと。そして、今とても大変な状況に見舞われてリーダーとして途方に暮れていること。あなたも同じような経験をしたと以前会議で少し聞いたことがあって、それを思い出した。あなたはそれをどうやって乗り越えたのか、聞かせて欲しい、ということが書かれていた。

 

これはメールで文字にして送るより、まずは彼女の話を聴く方が先決だと感じた。

 

で、「顔を見て話そう」とお誘いのメールをしたらとても喜んで返事がきて、明日、お互いの真ん中ぐらいの場所で待ち合わせてお昼でも食べながら話すことにした。

 

組織の中で同じようなポジションに立っている人にしか言えないことがある、スタッフには言えないことがある、と思う。自分も、そう。

 

今の仕事をしていて、日々思うことだけど、「こんなこと言ったら、リーダーとして失格かな」とか「恥ずかしいかな」とか、何も心配せず、ただただ聴いてもらえる場が、本当に必要だ。たとえどんなにいいアドバイスをもらっても、実際に立ち向かえるのは自分しかいない。それはよくよくわかっている。そして、ただ聴いてもらえるだけで、その状況を想像して、頷いてもらえるだけでチカラをもらえることが、ある。

 

同じようなポジションで働いている人が、苦しい時に自分のことを思い浮かべてくれたことがうれしかった。

 

明日は彼女の話をゆっくり聴いて、そして、わたしもまだすっかり乗り越えたわけではないということも含めて、じっくり話したい。

 

そんな日曜日も、いいものだと思う。

行きは桜で帰りは雪だよ。

静かなデスクで締切ギリギリの広報誌の特集記事を書くために休日出勤。

 

今朝、おかんの団地の桜が一部咲き始めているのを見て、「おぉ〜、春が来たねぇ」とほくほくしていたのに、午後から空が一気に曇って、帰りは何と雪が降った。

 

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どないなってんのよ。

 

カチカチにかじかんだ手で鍵を開けて家に入ったら、最近我が家のブームとなっているキンパ(韓国海苔巻き)の香ばしい香りがたちこめていて、幸せな気持ちに包まれた。

 

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ありがとねー、相棒ちゃん、いや、相棒様様。

もうハタチの娘にお小遣いあげたくなった(笑)。

 

暮らしのなかに在ってこそ。

この前の日曜日、人と会う約束の前に、ずっと行きたかった西陣織の「手織り」の現場を見学して、織り手のお話をお聴きする機会を得た。

 

一番皆さんとシェアしたかった「手織りの現場」と織り手の方の撮影は残念ながらNGだったけど、織り手さん(何とお呼びするのがよいのか質問すればよかったと帰ってから思ったけど、その織物の会社の方は「うちの織り手」とおっしゃっていたので、ひとまずそれを踏襲しておこう)のお話が本当に素晴らしかったので、忘れないうちに粗いけどここに書かせてほしい。ただ、貴重な存在であられる織り手さんのお話を、あくまで聴かせていただいたわたしの感覚で、その一部を文字にするということをお断りしておきたい。

 

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日本のなかで、みんなが知っているような有名な産地(たとえば博多織:福岡県、西陣織:京都、結城紬:茨城県や栃木県)であっても、帯や着物を織る人も、それを扱う会社も、どんどん減っている。その一番の背景には、生活のなかから着物がどんどん消えていってしまっていること、特別な場所に、特別な人(自分で、もしくは誰かに着付けてもらえるひと)が着て行くものになってしまっていることがあると思う。

 

もっともっと普段の生活の中に着物は在った。朝起きたら着物に着替えて、割烹着を着たりして家事をしたものだった。◯◯流とかでなく、要ははだけてさえこなければいいのだから、紐一本でも着物は身に着けることができる。夏は涼しく、冬は驚くほどあったかい。そして「着物一枚帯三本」と言われるように、一枚の着物でも帯や小物次第で幾通りにも楽しめる。外国の人が京都に来て、すごく自由な発想で古着の着物を買って自己流で着こなしている姿を見ると、日本のひとにもそんなふうにもっと自由にもっと身近に着物を着て欲しいとすごく思う。

 

それから、若い世代のひとが、こういう伝統的な技術を継承してくれる動きにもとても心を動かされる。だからこそ、能登の地震を知って、輪島などでがんばっていた若いひとたちがどうしているか気掛かりでならない。企業のバックアップがあればまだしも、個人でがんばっていた若者たちが今どうしているか、もう一度立ち上がって動き出すことができるか、それを考えることができる状況にあるのか、本当に気になっている。

 

日本の技術、手仕事のレベルは本当に高い。帯を織る時、絹糸1本に触れるだけで国産か輸入か、はっきりわかる。国産の絹糸の繊細さは素晴らしい。そのことを、もっと知って欲しいし、もっとみんなが着物を着ることの敷居を低くして、楽しんでほしいと願っている。

 

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もっともっといろんなお話をお聴きしたけど、いま書き残せることを、書いてみた。

 

この織り手さんのお話を伺ったとき、着物がとても似合う、そして着物を着ることが暮らしのなかにちゃんと「在る」ブロ友さんのことが頭に浮かんだ。あぁ、彼女みたいなひとがもっともっと増えていけばいいなぁと思ったし、私は私にできるやりかたで、着物や帯を、もう少し自分に引き寄せてみたいなと思っている。

 

着物や帯の美しさは、遠いところから絵画のように眺めるより、暮らしのなかに在ってこそ、なんだと思う。

 

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