のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

第三話:「違い」を伝え合うことから。

少し前、新幹線で新大阪から東京に移動する機会があった。「少しでも速いほうがいい」と思った時代もあったけど、ここ数年はむしろ移動時間を「図書室」として満喫できるように、わざと各駅停車の「こだま」を選んで、ちょっとだけ贅沢してグリーン車の席を確保するようにしている。

 

新大阪東京間は約4時間。

これが、ものすごく幸せなひととき。乗車前に、ちょっと上等のお弁当とかお菓子とかを選ぶ時間も楽しくてしょうがない。

 

で、今回、そのグリーン車のシートの網ポケットに「ご自由にお持ちください」と置かれている雑誌の表紙にチラッと見えた「男性優位の社会を変える」という見出しから、おはなしは始まる。

 

「Wedge」(ウェッジ)という100ページぐらいの雑誌。今までも存在は知っていたし、暇つぶしにちょっとペラペラめくるぐらいはしたことがあったけど、そもそもが「JRが絡んでる時点で中身の想像がつくわ」と思っていたので、それこそ「読まず嫌い」だったのだけど、3月号の特集がなんと・・・

 

「ジェンダー平等と多様性で男性優位の社会を変えよう」

 

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ちょっと「え?嘘やろ~~~?!」となった。ほんまかいな。

 

そして、次に思ったことは、「いや、これは、『勝ち組(これ、もう古いな)』の女性がキレイごとを書いてるに違いない」。「読むだけムカつくに決まってるわ」と思った。

 

でも、「まぁ、それにしても、ちょっと確認だけはしとこかな」というかんじで、斜めからの目線でペラペラペラ・・・とページをめくるだけはめくってみたわけ。

 

そしたらあなた、すごいじゃないの。

 

ページ数にして35ページ。「データでみる男女平等 これが日本の”現在地”」というわかりやすいグラフのコーナーもあり、さまざまな現場の女性たちが書き手のほとんどという構成。それぞれの文章の「タイトル」ひとつひとつがめっちゃそそる。そしてそして、なんとブレイディみかこさんの文章も載っていて、途中で挟み込まれる書籍の紹介がまた興味深い。

 

「これ、危うくわたしの先入観によって見逃すところだった。ヤバかったわ」というのが素直な感想。

 

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わたしは、相手のことばのチョイスによって、「あ、この人、ちょっと無理かも」と心のシャッターを下ろしてしまうところが多分にある。そして、その「線引き」がやたら尖っている。

 

おかんとわたしの笑い話がある。

 

その昔、さだまさし氏の大ヒット曲に『関白宣言』というのがあったのをご存じだろうか。

 

あの曲の出だしの歌詞・・・

 

お前を嫁にもらう前に

言っておきたいことがある

かなり厳しい話もするが

俺の本音を聞いておけ

 

この曲が発売されたのが1981年、わたくし、当時13歳。

 

忘れもしないわ、テレビの歌番組でこの曲を初めて聴いた瞬間、

 

「嫁にもらう」って何やねん。

犬とか猫ちゃうやろ、アホかこのオッサン。

 

とテレビに向かって悪態をついた。さすがのおかんが「あんた、ちょっと、オッサンって・・・、エラい勢いやなぁ」と苦笑いというか、何というか、とにかく爆笑ではない、不思議な反応をしたのも含め、よく憶えている。

 

それ以降も、「家内」とか「嫁」とか「主人」とか「旦那」とか、そういう表現がイチイチ引っかかった。かといって、「その表現、引っかかるんです。何故かというと・・・・」という説明や、「わたしの違和感、わかってほしい。あなたはどう思う?」というキャッチボールをすることにはひどく臆病で、静かに黙って、それ以降、それ以上のお友だちにはならない、みたいなことを繰り返してきた。

 

「白か黒か」「敵か味方か」の線引き、選別ばっかりで、「わかりあう」ということに対する努力をちっともしてこなかった。

 

でも、この「ジェンダー平等」を目指していくためには、(いや、平等なんて正直、果てしなく遠い。そもそも「ジェンダーって何やの」というハナシだ)お互いに考えてること、感じてること、何に違和感を感じているのか、何が不平等なのか、ということを伝え合うことが、まずもって大切だと思う。そこに臆病なままで、正論だけぶっ放しているわたしは、相当に「弱虫」だったよな、今も、そうだよな、と最近、割と頻繁に思っている。

 

「違い」を伝え合うことの先にしか、「認め合う」ってことは成り立たないのだよな。「生きづらい」とか「不平等だ」感じていることを表明してもいいと思える場(それは、実際の対面だけでなく、このような文字をとおしての場も含め)は、とりとめのない、整理のつかないことばを自分のなかから外に向けて発する、カタチにすることからしか始まらないのだよな。わたしは、そのことがそもそも、まだまだ、できていないのだよな、と思う。

 

だけど、「できていないのだよな」ということに少なくとも向き合うことをし始めている、ということは、悪くないよな。

 

この、とりとめもない、まとまらない、独り言の寄せ集めみたいな文章でも、書こうかな、と思わせてくれた、いろんな人のブログでの発信、対話に、深謝。(う~~ん、この手の「お礼」をそういえば何度も書いている気がするな。そこから進んでないのかな。いやぁ、イケてないな。お恥ずかしい)

 

でも、というか、そして、というか、そんなわたしだから、この「Wedge」のページをちゃんとめくったわたしに対して、「よくぞ手に取りました」と言いたい。

 

せっかく「ご自由にお持ち帰り」してきたから、隅々まで、ゆっくり、じっくり再読しようと思う。

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