のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

番外編:根っこは何か。

スタッフから「聴くべき話」を聴いたあと、ほんの数ミリでも「よりよい方向」に動き出すことはできたとは、思う。それは、前回書いたとおり。

 

でも、考えれば考えるほど、そこに行き着くのだけど、

 

やっぱり、根っこにあるのは「政治」なんじゃないかな。

 

医療に対する政治のありようが、あまりにもズレている。

 

そもそも、なんで人々の健康をまもるための機能が「儲からないなら潰れても仕方ない」なんてことになるのだろうか。コロナに翻弄されながら、十分ではなかったかもしれないけど、現場は大げさでなく「懸命」に働いてきた。それは、コロナを直接診る&看る、ことを担っていなくても、コロナの嵐が吹き荒れる社会を医療の場で支えたという意味では、同じ価値の役割を果たしたと思う。ほんの数年前、最初は医療現場で働いていることがまるで「迷惑」「厄介者」みたいに見られた。その時、政治はなにもしなかった。その次に「医療従事者のみなさんありがとう」の波がきた。政治はそれを大いに利用して「ありがとうキャンペーン」だけでお茶を濁して、ほとんど何もしなかった。そして、「感染症法上5類になりましたので、マスクも自己判断でOK。みなさん心配なくどんどん外に出て経済を回しましょう」となり、最近はニュースになんてもちろん出てこないし、永田町でも忘れ去られたワードになっているようにしか見えないし、ほんと、「過去のこと」みたいになっている。(あ、書き方がごちゃ混ぜになっているかな。もちろん、大変だったとき、労ってもらったことには心から感謝している。そのことに支えてもらったからこそ、それを政治が利用したことが腹立たしいのだ。)

 

医療現場では「薄まった」というか「薄められてしまった」だけ。「コロナはコロナ病棟で隔離」が「一般病棟の一角で」になっただけ。「普通にインフルエンザと同じように」という政治の判断で、現場の苦労が「特別な仕事」として見なされなくなっただけ。苦労は続いているし、そのことによる経営上のダメージへの手当は、日ごとに薄くなっている。

 

そういう状況に、どこまで「現場のがんばり」で対処すればいいのだろう。それができずにスタッフが疲弊して離職して、残ったスタッフがさらに追い込まれて…、というのは「現場のリーダーのマネジメントの責任」なのだろうか。

 

もちろん、自分のリーダーシップを顧みるところは、ある、ある、もちろん。

 

でも、それだけじゃないやろ、もっと根っこの問題があるやろ、と思う。

 

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それと、もうひとつ、思うことがある。

 

看護師の仕事は、どこか家事労働と似ているところがあるんじゃないかな、と。

 

病院という場所は、お医者さんが何かすると、その細かい「イチイチ」に診療報酬がつく。最近は看護師が実施したことで得られる報酬もないわけではないけど、それでも圧倒的に、病院はお医者さんが動かないとお金は生まれない。でも、お医者さんがひとりで完結している仕事は、あまりない。お医者さんが患者さんに何かを実施したあと、看護師をはじめとするいろんな職種のスタッフがフォローしたり、後片付けをしたり、整理したり、している。その細かい、さまざまな仕事は、単独で評価されることがほとんどない。お医者さんの仕事への報酬のなかに含まれてしまっている。「込み込み」というやつ。

 

家事労働を担うひとがいなければ、「明日も変わらず外で仕事をするひと」は成り立たないように、お医者さんの仕事は、それを支えるひとの存在なしには成立しない。看護師の仕事のすべてが「お医者さんを支える」ことではないし、そうでない仕事をしたい、しているぞ、と思っている。でも、そのがんばりは、お医者さんのそれのようには評価されない。

 

なんだか、納得がいかない。

 

ずっと長いこと、納得がいかない。

 

病院のなかの看護師の役割ってなんだろう、「看護」ってなんだろう。

 

もちろん、「専門職」としての自覚をもちたいと思っている。

 

職能団体も、そのことをずっと主張し続けてはいるけど、これまた納得がいかないのは、その職能団体から擁立した国会議員は自民党に所属している。その人物を「推せ」という。いや、ごめん、それはムリ、だわ。

 

本当の根っこが何も変わらないまま、そこから伸びる(延びる?)「枝葉」のことに、ずっと悩んだり、自問したり、ときには自分を苛んだりしている気が、ずっと長いこと、じわじわと、している。そのことを、どうにもできずに何十年も看護師として働いている。

 

それでいいのか。

 

いいわけない、と思う。

 

それでも、今日も、明日も、現場は動いている。わたしも、働いている。

 

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こういうことをこの場所で書くことに、実はとても勇気がいる。自分の考えは偏っているのではないか、未熟なのではないか、誰かから「あなたの書いてること、間違っている」と指摘されるのではないか、「専門職業人」として書くべきことではないのではないか、など、など、などを考えて、いくつもの文章が「下書き」のまま、残っている。

 

でも、そういう、ひとりひとりの思っていることを、ちいさい場所で、ちょこちょこっとでも、もっと誰かに伝えてもいいのかも、そうすることが大事なのかも、と思わせてくれる文章や「やりとり」に最近いくつか出会って、たったこれだけの文章だけど、自分としてはなかなかに勇気を出して書いてみた次第。

 

 

第三話、というより、ちょっと番外編。