のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

選挙のこと、仕事のこと。

間近に国政選挙が迫っていることを、メディアと政権が結託してひた隠しにしているとしか思えない。記憶しているなかで、いまが一番ひどいと思う。そして、私自身も、最近、かなり「落ちてるな」と思う。

 

わたしはその昔、看護師になりたての頃、自分が働く病院の方針で、入職すると同時に「自動的」に職能団体に加入させられた。そればかりか、国政選挙のときに「看護師の代表を国会へ」と擁立された候補者の後援会への入会とカンパを事実上強制された。しかも、その候補者は「自由民主党」の公認候補だった。

 

わたしはその後援会への入会について「思想信条の自由に反してると思います」と当時の病棟の主任さんに申し出た。その時の主任さんの迷惑そうな顔を、いまでもはっきり憶えている。「〇〇さんの言いたいことはよくわかる。だけど、これは看護師の地位向上のために大事なことやから理解してほしい」とやんわり、じんわり説得されたけど、「看護師の地位向上は必要と思いますけど、そのことと引き換えに自民党の政策に賛同はできません」と拒否した。そしたら、それが大問題になった。「そんな生意気な新人はどこのどいつだ?!」みたいなことになり、何度も呼び出されてお叱りを受けた。最終的には、ひどい話だけど、わたしが病棟に納めていた「詰所費(毎月、休憩室で飲むコーヒー代や、病棟での忘年会、歓送迎会の積み立てとして徴収されるお金)」のなかから後援会へのカンパを勝手に支払われてしまった。加えて、そこから主任さんの上司である婦長さんからの陰湿ないじめが始まった。

 

主任さんは私を休憩室に呼び出して、「〇〇さん、ごめんね、助けてあげられなくて」と言ってくれたけど、その言葉のとおり、いじめられている私を守ってくれることは、ただの一度もなかった。そんなふうに、尊厳を傷つけられるひとのことを傍観できるひとが、どうして看護なんてできるのか、もちろん私をいじめた婦長さんに至っては、論外もいいとこで、看護師という職業に対して新人ナースなりに、相当に幻滅した。

 

その後、その病院を辞めると同時に、職能団体からも抜けた私が、20年以上経ってから、その職能団体の会館に定期的に足を運ぶことになるとは、思ってもみなかったけど、いま、そんな立場で仕事をしている。

 

大阪というところで、この数年のコロナの時代を看護師として生きて働いてくるなかで、ものすごくもどかしくて、ものすごく悔しかったこと。それは、がんばればがんばるほど、「維新政治」の片棒を担ぐことになってしまったことだ。とにかく、目の前の患者さんのため、一緒に働くナースたちのためにがむしゃらにやってきたけど、それがまるで知事の手柄のように扱われていることがたまらなく悔しい。

 

それだけでなく、今回の参議院選挙に「看護師の地位向上のために」と擁立された候補者は、またしても政権政党の公認を受けていて、その候補者を「看護師のリーダーのひとりとして、あなたもぜひ応援して」という。

 

それはない。

ちょっと前にも書いたけど、それは、ない。

 

だけど、わたしのどこかに、あの新人ナースのときに受けたいじめのトラウマが残っていて、はっきりとした態度で「そんなことには賛同できません」と表明するだけの勇気がない。「後援会入会の名簿に名前を書いて返信して」という要請に、沈黙するだけしかできていない。その自分のことが不甲斐ない。

 

そんなことに加えて、仕事のなかで、ひとを信じられなくなるような出来事に直面していて、正直、「もうリセットしたい」と思ってしまっている。もちろん、すぐにそれが実現はしないけど、でも、がんばることへの気力みたいなものが、相当に目減りしているのを日々感じる。

 

そんな私のことを静かに眺めながら、頑固一徹おかんは、知り合いに「親書」を書きまくっている。「この選挙で大負けしたら、この国は本当に大変なことになる」と伝えまくっている。おかんはおかんで、特にこの数年、「わたしは一体なにをしてきたんやろ」と無力感に苛まれることがたくさんあっただろうに、それでもやっぱりおかんはすごい。尊敬する、まったく。

 

あかんたれの娘で申し訳ないな、と思いながら、それでも何とかがんばろうと思って、友だち便で送ってもらった男爵イモと玉ねぎでコロッケを山盛り作った。

 

 

むしゃむしゃ頬張っていたら、お腹の底のほうからあったまる感じがした。

 

何が、どれだけできるか、わからないけど、自分の選ぶ道は間違ってないと自信をもって進んでいかなくっちゃ、と思えた。