のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

秋がきた。

昨日、丸一日かけて「栗しごと」に勤しんだ。

 

包丁を握る右手の人差し指の根本にマメができた(笑)。

 

栗を茹でながら、皮を剥きながら、農業について、いろんなことを考えた。

 

土を耕すひとを友だちに持てたことで、より身近に、自分ごとというには実感が足りないけど、でも、以前よりずっと自分に引き寄せて考えることができるようになった。

 

今日も仕事帰りにスーパーに寄って買い物をしたけど、野菜やお米やお肉や魚があそこに並ぶまでに、どれだけの人の手がかかっていることか。人間の意のままにならない自然と向き合って、対話しながら育てていく過程は、本当に「不確か」なことの連続だろう。だからこそ、昔のひとたちは雨乞いや豊作祈願を大切に執り行ってきたのだよなーと、昨日、栗を剥きながら、ひとりですごく納得した。

 

不確かなのも、不揃いなのも、みんな自然のなかでは当たり前のこと。それを確実に、きれいに揃えようとすると、たとえば農薬、たとえば遺伝子組み換えの種に頼る道へ進むことになる。自然からどんどん乖離していく。わたしはどっちを選ぶのか。そんなことを考えながら、ひたすらに手を動かした。

 

そんなふうにして剥いたからか、今年の栗にはすごく思い入れが強くなった。だから、なのかな、もとのおいしさがさらに膨らんで、まさに絶品。

 

土にも、水にも、風にも、山の動物たちにも、そしてこの栗を届けてくれた友だちにも感謝して味わった。

 

口のなかいっぱいに、秋がきた。

 

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