のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

大石あきこさんから受け取ったもの、ほか。

衆議院選挙のあと、いや、もっと前から、大阪のテレビに知事がバンバン登場して、「コロナの再拡大は全力で食い止める」キャンペーンを大々的に展開して、「やっぱり、吉村さんじゃないとあかんなぁ」みたいな印象操作が思いっきり大当たりしていたところから、じわじわと、自分のなかの闘争心みたいなものが弱体化している気がしていた。

 

毎日、仕事は大変で、いつまた「えらいこと」になりはしないかと、いつもどこかで緊張している。同時に、「自分が感染拡大の『出どころ』になったらどうしよう」という不安から、望まざる「巣ごもり」状態になっている人たちが実はたくさんいることがとても心配で、直接的にコロナにやられることと同じぐらい、「コロナ以外のことでしんどくなっている、しんどくなっていく人たち」のことを考えていかないと、と思う。

 

なぜこんな状況に陥っているのか。

 

そのこたえは、多分に政治のなかにあると思うのに、どう説明していいのか、とにかく、自分がイケてないなぁ、弱虫だなぁという気分。そして、そんな甘っちょろいことをつぶやいている間に、その政治のなかで、とても苦しい思いをしたり、傷ついたり、それでも闘っているひとがいることに、いたたまれないような気持ちになる。

 

大阪では、維新が自民党を圧倒するほどの勢いで勝って勝って勝ちまくった。ひとつの選挙区に、とんでもない人数と、力で乗り込んで、ブルドーザーみたいにいろんなものを押し倒していった。維新に取って代わられた議席の重みを考えると、本当にどーんとくる。

 

わたしは、その昔、自治体議員に立候補しないかと声をかけてもらったことがあるのだけど、いろんなひとの選挙に関わるなかで、政治をやるひとには、政策を実行するちからと、どんな攻撃にもめげないタフな精神がどれほど必要か、ということを間近で見て、「わたしなんかに、とても、とても、とてもじゃないけど務まらない」と即座に断った。その判断は正しかったと、いまでも思ってる。

 

だけど、いまの日本社会をこのままにはしておけないと、勇気をもって起ち上がるひとはいて、あんなとんでもない永田町で、必死に「まともな政治」、「人びとのための政治」をやろうとしているひとは、現に、いる。すごいことだと思う。どこからそのファイトや勇気がわいてくるのか、と思う。

 

smokyさん(id:beatle001)がアップしてくださった、大石あきこ議員の街頭でのアピール動画を観て、彼女がまたカッコよくなったなぁと思った。すごいよ、ほんと、すごい。「文通費100万円もんだい」を巧みに利用して、人びとの注意を「政治の中身」から逸らしていく維新の手法。自分のことは平気で棚に上げて、まるで「誰も手をつけられなかったことに物申す、勇気ある改革者」みたいに振舞っている吉村さんのことを、「盗人猛々しい」とは、まさに、よくぞ言ってくれた。そうなの、それが言いたかったのだよ。そう思うひとは、きっと少なくないと思う。大石さん、カッコいい。そして、優しいなぁと思う。

 

だからこそ、すごく思うのだけど、彼女を、絶対に孤立させたくない。きっと「目の敵」にされるに違いない。だって正しいからね。政策での論争でなく、そのひとを、その場所に居られなくするような圧力を平気でかけてくる、そんなことが日常的に行われることを百も承知で、それでもスカッとした笑顔で、どんどん声を挙げていく彼女が、傷つけられることがないように、と思う。日々もやもやとした気持ちでいるわたしだけど、それでもできることはあるはずで、わたしにできることを、ひとつでも、ふたつでも、やればいいんだと思う。

 

あたらしい政治の流れをつくるために、一足飛びにきっと政権交代はできない。維新がボロ勝ちしたのは、自治体から、足腰を強くしてきたからだと思う。だから、わたしも、こんなふうに、生活者として、看護師として、思うことを少しずつ発信していきながら、「くらしを大事にしたい」という思いをいろんなひとと共有しながら、いまより少しずつでも違う社会をめざしたいと思う。

 

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あ~~~~、少しだけ、心のもやもやが薄くなりました。

 

ここに何を書くか、というのは、わたしのなかで、結構大事なこと、でして。まとまらないし、いつも同じことを書いてるようで、尻込みしてしまっていたのだけど、でも、そのままの気持ちを書いて、自分自身がちょっと前を向けたかな、と思います。

 

もちろん、元気が全然ないことは、ないです。

 

「友だち便」のお野菜を、頑固一徹おかんの台所で一緒に料理して、一緒に食べて、いろいろ話したり、しています。おかんも、いまの政治の状況に、そりゃきっとわたしよりもずっと砂を噛む思いだろうと想像する。一時、わたしはそのおかんの声に耳を塞いでいたと思うのだけど、「友だち便」のお陰で、おかんと明るく希望を語れる場ができました。耕すことを慈しむひとがつくったものを、感謝して味わっていただくことが、ひとをどれだけ再生させるか、最近、身をもって感じるわたしです。

 

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友だちは、こんなふうに、お野菜にちゃんと「名札」をつけておいてくれます。その名札を見て、スマホでレシピを検索したりして、わたしは台所に立ちます。

 

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どれもこれも、本当に、本当においしいです。みずみずしいったらありゃしないですよ。

 

今日のお弁当にも、お野菜たっぷり持ってきました。

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こうして、自然の美しい色に触れると、なんだか創作意欲も刺激されるのですよね。噂の(笑)ダーニング、その後、ちょっとずつ進化しております。

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そうなのです。

こんなふうに、食べること、語ること、おしゃれを楽しむことが、政治と両立できるような、そんな社会にしなくちゃ。政治をやるひとは、ほかのすべてを捨てなければならないような、そんなの、おかしい。あるいは「なにもかも、すべてを持つひと」だけが政治をやれるのも、おかしい。そんなひとがやる政治は、「持たないひと」をどんどん切り捨てて、まるで存在さえしないかのように進められていく。そんなんじゃ、あかんのです。

 

さぁ、来週末は、久しぶりに頑固一徹おかんと、その友だち(わたしの友だちでもあるのだけど)が集まって、「のんちゃんのごはんを食べて元気になろう」という会をします。地道に、ひとりひとりと、しっかり手をつないでいけるような、そんな場を、ひとつひとつ積み重ねていきたいと思っています。