keisukeさん(id:keisuke42001)が少し前に書いておられた記事で、ぜひ観たいと思っていた映画。ちょっと前に神戸まで足を伸ばして観てきた。
『高速道路家族』という映画。
娯楽映画では、ない。
ものすごく心を揺さぶられて、ちょっとたまらない気持ちになったけど、でも、観に行ってよかった。ちょっと遠くまで、ちょっと無理して、「労働者の街」にある小さな映画館に観に行けたことが、この映画には「お似合い」だったと思う。
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感じたこと、というより、この映画を観ていて想い出したことがいくつかあって、そのことを書き留めておこうと思う。自分への、「記憶のメモ」。
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ひとつめの記憶
「騙されるより、騙すほうがつらいんや」
映画のなかで、妻と2人の子どもを連れたお父さんが、高速道路のサービスエリアで何度も同じ手口で詐欺をはたらく。騙し取った2000円ばかりのお金で食いつないで、また次のサービスエリアへ歩いて移動していく。
わたしも中学生の頃、夜の道で母娘連れに「お金を落としてしまってバスに乗れないのでお金を1000円貸してほしい。明日必ず返しに行きます」と声を掛けられた経験がある。「お母さん」のものすごく困った様子と、手をつないでいる「子どもさん」の不安そうな顔つきに、どうしても素通りできず、しかも財布の中には1000円札がなくて5000円札とちょっとの小銭だけだったので、すごく迷った末に、結局5000円札を貸した。その後、その「お母さん」がわたしにお金を返しに来てくれることはなかった。
当時、労働組合の活動が忙しかったおかんの代わりに台所を任されていたわたしは、中学生にしては大きな額を「預り金」として常に財布に持っていた。5000円札は、「おかんの大事なお金」だった。だから、「預り金精算」の日まで、ずっとお金が戻ってくるのを祈るような気持ちで待っていたのに、お金は戻ってこなかった。
泣きながら事情を説明したわたしに、おかんは言った。
「騙されるより、騙す方がつらいはずや。あんたがしたことは、それでええ。間違ってない。お母さんもおんなじことをしたと思う。それにもしかしたら、ほんまによっぽどの事情があって返すことができへんのかもしれん。もう考えんとき」と言われて、さらにたまらない気持ちになって大泣きした。
映画を観終わって、駅へ戻る道を歩きながら、モクモクと沸き上がるみたいに蘇った記憶。映画のなかのお父さんは、どんな思いで、家族(とりわけ子どもたち)の目の前で、人を騙すことを続けていたのだろう。平気そうに見える、ちょっとゲームみたいにも見える振舞いの、その奥底にあるものを、「あの夜の母娘連れ」の本当の事情と一緒にあらためて想像した。
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ふたつめの記憶
「臭い(におい)」
数年前に話題をさらった韓国映画の『パラサイト 半地下の家族』に象徴的な一幕があった。貧しき者の身体から発せられる臭い(におい)に対して、富める者が露骨な蔑みをもって顔をしかめた。「この世のものと思えない」というぐらいの表情で鼻をつまんだ、その表情に、貧しき者の身体中から、心の底から、怒りが噴き上がった。
『高速道路家族』にも、少し似たシーンがあった。でも、もっと残酷だったのは、お父さんの臭い(におい)を嫌悪したのが、ちょっと前まで一緒にテントで寝泊まりして暮らしていた、かけがえのない家族だったはずの、お父さんが誰よりも大切にしていたはずの、「我が子」だったということ。
人間としての尊厳、最後の砦を崩されたような、その瞬間の激痛は、お父さんの心を壊してしまうのに十分すぎるほどのものだったと、我が事として想像する。
というのは、その昔、おっちゃん(このブログにも何度か登場している「おかんの弟」)が暮らす沖縄の安アパートを訪ねたときの自分と重なるからだ。わたしはおっちゃんのアパートの玄関のドアを開けた瞬間に、息を止めた。その後は、鼻で呼吸することを拒絶した。そして、一緒に訪ねたおかんを、玄関の外に押し出した。当時すでに心を病んでいたおっちゃんのアパートの部屋は、荒みに荒んでいた。どんな臭い(におい)がするかは一瞬で想像できた。おかんを押し出して一人で部屋に入り、明らかに「臭い(くさい)」と嫌悪した姪っ子に、おっちゃんは絶対に気付いていたはずだ。そして、その哀しさは、拭いきれないものだったはずだ。
その後、わたしは、少しだけ「おっちゃん孝行」をしたとは思う。でも、それは、本当は、あの日の自分の態度への罪滅ぼしみたいなものだったんじゃないかと、あらためて思うし、それでチャラにできるものでは決してなかったということも、いま、再び強く思っている。
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やっぱりね、いろんなことが起きて、日々が忙しそうに流れていくけどね、時々は、映画を観たり、本を読んだり、しようと思う。
思いがけず、大切な記憶が、蘇ってくれることも、あるのだから。