のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

きょうだいの、つながり。

父夫婦の施設入所が明日でいよいよ完了する。

先週、まずは父が入所し、環境を整えて、認知症のつれあいを受け入れる準備をして、明日、わたしが病院から介護タクシーに同乗して入所する。

 

父の入所の手伝いと、今後についての相談のために、東京で自営業をしている弟が忙しい仕事を調整して2泊3日で先週末合流してくれた。

 

結果的に、わたしがイメージしていたところまで、環境整備も今後についての相談も進まなかったのだけど、その原因はひとえに父にあった。弟の帰省を「無駄足」に終わらせたくないと、ギリギリと歯ぎしりする思いで父に関わったけど、そんなことではびくともしないほど、父は鈍感で、自分本位だった。「これが【老い】というものだよ」と自分を納得させるには、父への不信が強烈すぎて、その毒気にヤラれて参りかけていた。

 

いや、それよりも何よりも、もっともわたしを消耗させているのは、きっと「弟が報われていない」という事実。

 

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今回の一連のドタバタのなかで、凄まじくショックなことがあった。

 

当時まだわたしたち家族の一員であった父と、わたしたちにとって全くの闖入者であった現在の父のつれあいが、小学校にあがる前の幼い弟を無自覚に傷つけていたことを、40年以上も経ってすっかりおとなになった弟から「済んだ話」として聞かされた。

 

その瞬間から、わたしの心はずっと煮えくり返っている。父夫婦をサポートして次のステップを踏ませようとしている自分自身が、足元から揺らぐほどの怒りを抱えながら、それでもとにかく、ふたりの「(恐らくは)終の棲家」への移動を完了させるまでは、走り切らなければと、動き続けていた。

 

日曜日に弟が東京に戻り、「いま東京駅に着いた」の電話をもらったとき、念のため聞いてみた。

 

「お父ちゃん、あんたにちゃんとお礼言うた?電車賃と宿泊代、出した?」

 

・・・・答えはNOだった。

 

 

 

信じられない。

 

いや、むしろ、逆か。

 

そりゃそうだ。

 

かつて、幼い弟に、あんなことができた人間なんだもん、さもありなん、だ。これ以上ないほど、納得した。

 

 

 

そんなわけで、呆れるのはとっくに通り越し、腹立たしさも通り越し、いまのわたしはものすごく冷静で、明晰で、冷淡。

 

 

制度上は「親と子」であることはこの先も付きまとう。そこから逃げることには気力も労力も要する。加えて、支援者の側を経験したこともある私は、それをすることによって迷惑がかかってしまうという想像力を働かせ、申し訳なさなど感じてしまったりする。

 

それなら、もう、やることは最後までやり続けよう。

 

だけど、そこには血の通った感情は皆無に近い。

 

ドライに、ビジネスとして、やり切ろうと、決めた。

 

 

 

でも、ビジネスにシフトする前に、やるべきことがある。

 

わたしたちきょうだいにとって、とりわけ弟にとって、父と、父のつれあいがどのような存在であったか、幼かった彼に何をしたのか、加害者は忘れているだろうから、忘れるどころか最初から「記憶すべきこと」として認識さえされていなかっただろうから、被害者の側から、明らかにする。

 

それが父にどの程度響くのかはわからない。でも、それをはっきりさせたうえで、そのようなことがあってもなお、仕事をやりくりして東京から出向いてくれた弟に、まっとうな対価を支払うことを主張する。本当はもっとさかのぼって、年老いて、つれあいが認知症になって、不安になり始めた父を、時々電話したり、わたしの知らないところで訪ねたりしながらサポートしてきたのは、ほかの誰でもない、弟だった、それがどれほどのことか、受け止めるこころもちからもなかったとしても、主張せずにはいられない。

 

そして、そのこともすべて含みながら、ここから先、ふたりの命の終わるところまで、たとえビジネスでも、わたしが関わり続けることに対しても、それがどれほどのことかを考えることを求めたい。

 

正直、自分だけの苦労だと認識していた時点では、ここまでの怒りは湧かなかった。どこかで「哀れみ」の気持ちもあった。

 

でも、弟のことを知った時点で、すべてが切り替わった。

 

よくも、大事な弟に・・・・。

 

自分のなかに、そこまでの感情があるとは、自分でも制御しかねるほどのマグマみたいな感情があるとは、思っていなかった。

 

だけど、ふたりでごはんを食べたとき、弟は言っていた。

 

「ねえちゃん、俺ら、ちょっと普通のきょうだいのつながりとは違うよな。よくもわるくも、このつながりの強さは、ちょっと、なかなか、ないと思う。だから、俺は悪いことばっかりじゃなかったって思ってるで」。

 

・・・・・そっか、そんなふうに思うのか。3つ下の弟が、ずっとずっとおとなに思え、そして、いままでよりもっともっと大切な存在として再認識した。

 

加えて、そのふたりのきょうだいを、少し離れたところから静かに見守っているおかんと3人の絆も、ちょっと「並み」ではないと思う。

 

だから、そのつながりのために、そのつながりがあるから、何がなんでも、やり遂げてやろうと、わたしは、あらためて決意している。

 

 

 

弟との食事、久しぶりで、おいしかった。