のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

わたしの「あした」のための「片付け」を。

わたしは基本的に「片付け」が苦手、です。

掃除・洗濯・炊事のなかで、「片付け」を含めた掃除がダントツで苦手です。

 

毎日、すごく実感するのです、暮らす場所の有り様は、自分のこころの有り様を映してるなぁ・・・ってこと。そして、わたしの場合、「散らかっている」よりも、まず「持ち物が多すぎる」ってこと。片付けるときにはいつも、「あ~、なんでわたしはこうなんだろ」って自己嫌悪に襲われます。そうなると、すっきり爽やかになりたいはずの「片付け」が、ものすごく気分を淀ませることになり、ものすごく疲れる営みとなってしまうのが、わたしの「常」なのであります。

 

そんなわたしの頭のなかをジャブジャブ洗い流してくれるような本をみつけて、いま、大事に大事に読んでいます。

 

『私の生活改善運動』。

 

安達茉莉子(あだち まりこ)さんという方が書かれたもので、三輪舎という出版社から出ています。

 

「生活改善」とか「運動」とか、ちょっと怯んでしまいそうな言葉が並ぶタイトルでしょ?そして、本の中には実際の部屋の片付け方や、かっこいい「完成形」の写真は登場しません。文章と、章の見出しに合わせたモノクロの写真とイラストだけです。でも、それがとてもいいのです。誰かのかっこいいスタイルを真似するのでなく、「わたしによる、わたしのための」片付け、生活改善に導いてくれる、そんな本です。

 

まだ読み始めたばかりなのに、繰り返し読みたい「くだり」がいくつも出てきて、なかなか読み進みません。

 

たとえば

 

 「見ていて嬉しい気持ちにならないものを、なんで見えるところに置いているの?くつろげる場所って、自分がいちばん、暮らしていて大事な場所なんやないかなって」

答えられなかった。

 「これから目に見えるところには、まりちゃんが見ていて、嬉しいとか、かわいいって思えるもの、心が喜ぶものだけを置いてみたらどうかな?自分が心地いいっていう感覚を大事にして、空間に落としこむと、自分の心が、ふわっと、ほぐれるんやないかなと」

 初めて言われたことだったけれど、その言葉で一瞬でわかった。「部屋」に対して、いままで私は自我を持たずに過ごしてきたのだ。

         (本文P18~19より抜粋)

 

 

「部屋」に対して自我を持たない・・・、あ、それ、わたしも、だと思いました。そういうことか、と思いました。

 

続いて読み進むと、こんな言葉も出てきます。

 

 私は自分のことをずっと片付けられない人間だと思っていた。それは一切間違っていないけれど、そのことをずっと引け目に感じていたし、片付けのできない自分はいつも欠陥人間として責められているように感じていた。

 そんな私にとって、Yさんの「生活改善運動」は、これまで経験したことのなかったような、人格否定を伴わない生活の改善だった。

 ずっと捨てられなかった家具がなくなり、がらんとするほどスッキリして、明るくなった部屋。私が買い集めたり、もらったりした好きなものしか残っていない。

 すっきり空気が軽くなった明るい部屋からは、「幸せになっていい」と言われているようだった。

       (本文P23より)

 

 

これは、まさにわたしのことを書いてくれていると思うほど、気持ちのなかのジグソーパズルのピースがぴったりはまるみたいな気分になりました。

 

そうなんだよ、片付けに向き合うと、いつも自分がダメ出しされているようで、片付けながら、いわゆる「疲労」とは違う種類のしんどさを、いつも感じてきたのだけど、そのしんどさの正体がわかった気がした瞬間で、本当に、大袈裟でなく、「目からウロコ」でした。

 

仕事をしているウィークデイには、まとまった時間はとれないので、週末に向けて、この本を丁寧に読み進めて、読んで感じたことを自分なりに実践するような、そんな片付けをしてみようと思っています。

 

そんな週末を、いくつも積み重ねた先に、わたしの「あした」が拓けていきそうな、そんな気がしています。

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