のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

生活のど真ん中で歌うこと。

告白しておこう。

ここ数日の自己嫌悪は、「歌えてない」ことを人のせいにしてしまったこと。もっと掘り下げると、「歌えてない」イコール「音楽やれてない」ことに自分自身が置き換えてしまって、「音楽やれてるひと」を羨んで、果ては妬んでしまったこと。

 

洗濯をしたり、ガシガシとお風呂掃除をしたり、相棒ちゃんが脱ぎ散らかした服を片付けたり、「要整理」と付箋を貼ったままの「あとから片付けるBOX」にやっと手を付けたり、そんなことをしていると、時間なんてあっという間に過ぎていって、どことなくささくれだった気持ちでいるところに、音楽ともだちが投げてきたちょっとした言葉に過敏に反応してしまって、めっちゃ腹が立った。歌いたいのに歌えてない自分が、なんだかものすごく不憫に思えて、悔しくなって、そこから先、心のシャッターを下ろしてしまった。

 

「あんたは自由に音楽やれていいよな」

 

つまりは、そう思ってしまった。

 

 

 

 

 

だけど、それで楽になんてならなかったですよ。どんどん、なんか息が苦しくなるというか、心が萎縮するというか、なんだろ、全身の血流が悪くなるかんじ。感情も、からだも、全部淀むかんじ。

 

そこから抜け出さなくちゃ、と思えたのは、ゆうべの相棒ちゃんとのお出かけがあったからなんだろうと、思い返している。

 

それと、久しぶりに再会した友だちの、なんていうのだろう、「自分を生きてます」という熱量に、何かを得たのだと思う。

 

相棒ちゃんが先に寝てから、音楽ともだちに自分のここ数日の葛藤について、正直に伝えた。そこで決裂するなら、それも、ありなのかもな、と思いながら。

 

 

そんなに長い時間話したわけではないけど、自分の心のありようについては伝えられたと思う。音楽ともだちの思っていたことも受け止めたと思う。

 

 

そのうえで、朝起きて、思ったこと。

 

 

 

 

わたしは、生活のなかから歌うってこと。

 

仕事もしてます。母であり、娘であります。名前のつかないような内容も含め「家事」に手を取られ、時間も取られています。そんななかから、それでも歌いたい。「歌えない」とふくれっ面になるぐらいなら、誰に聴かせるでもなく、歌えばいいんだ。それに、「歌ってない」から「音楽やってない」わけではない。自分のなかに、ちゃんといつでも音楽はある。音楽って、そういうもの。

 

なにやってんの、わたし。なにクヨクヨしてんの、わたし。

 

 

 

 

生活のど真ん中で、歌えばいいだけのことやん。

 

 

 

 

なんか、スッとした。

 

そんな月曜日の朝だったの。

 

告白、おわります。