のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

不思議な対話。(長文ご容赦)

こんにちは。

 

やることはいっぱいあるのに、それらすべてを放ったらかしてでも、出かけたくなるとき、出かけたくなる場所が、あります。

 

「ブルジョアの書いた『名作』なんか読んでもしゃーない」(乱暴な物言いで、スミマセン、笑)。

 

わが頑固一徹おかんの口癖と、そして実際に彼女がわたしに買い与えてくれた本のジャンルの影響と、そして、きっとわたし自身の「食わず嫌い」のせいで、国語の「文学史」に出てくるような、いわゆる「文豪」の「名作」の類を、わたしはまったくといっていいほど読まずにおとなになりました。・・・というより、おとなになったいまも、それらをほとんど読んでおりません。読む前から肩肘にガチガチに力が入ってしまうかんじ、とでもいいましょうか。そして、ずっと読んでいないので、読み進めないのですよ、その作品の世界観を味わうところまで、まったく到達しないのであります。

 

そんなわたしなのに、なぜだか、志賀直哉が自ら設計し、10年余りを過ごした家に魅かれてやみません。

 

こないだの日曜日、「20℃を超えて暖かくなる」との天気予報に、「春の志賀直哉旧居」に出会いたく、またもや奈良をめざしてしまいました。

 

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このところの運動不足の解消も兼ねて、旧居よりかなり手前の平城京跡で車を預けてレンタサイクルに乗り換え。

 

思いがけず、可憐に咲く梅たちに出会いました。そっか、そうだよね、そんな季節だもん。

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足元には、椿の花びらの絨毯が。

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そして、平城京のスケールの大きさに圧倒もされました。

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おいしいモーニングと、ちょっと早めのランチを済ませて・・・

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いざ、志賀直哉旧居へ。

 

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 2階から見える景色は、どの端っこを切り取っても素晴らしい。

 

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茶室からの眺めは、そよぐ葉音とあわせて、いつまででもそこに居たい気持ちにさせます。騒がしい自分の日常やら、こころの中を、一旦リセットできるかんじ。

 

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ベタなかんじがするので、「これが直哉の書斎だ」的な写真には抵抗があったのだけど、やっぱり、美しいのですよ。実際に椅子に座らせてもらうことはもちろんできないのですが、ここに座って作品を書こうとした志賀直哉のことを想像して、華美なものでなく、こういう、地味で、なんというのかな、実直なかんじの庭に美しさを感じるひとだったのかな、そうだとすると、わたし、嫌いじゃないな(笑)、と思ったりしました。

 

旧居の見学順路は、玄関⇒2階(書斎と客間)⇒1階に降りて書庫⇒茶室⇒書斎⇒浴室・洗面台・脱衣場⇒女中部屋⇒台所⇒食堂・サロン⇒お庭⇒妻さまのお部屋⇒子ども部屋⇒直哉の居間⇒みんなの寝室というのがスタンダードな流れ。そして、この流れはとてもよくできていて、徐々に、徐々に、「物書き」の直哉から、家族の一員(父であり、夫)、生活者としての直哉に向けて、玉ねぎを1層ずつめくっていくようなかんじがします。

 

とくにわたしが好きなのは、やっぱり「台所」。これは何度も書いているので、ずっと読んでくださっている方には「しつこい」のですけど、でも、ほんとにこの旧居の台所は素晴らしい。

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「女中なんぞ、暗くて狭いところで、テキトーにやっとけ」みたいなかんじがまったくしなくて、ちゃんと「働くひと」の動きが無理なく無駄なく展開できるように設計されていると思う。なにより、ものすごく陽当たりがよいのです。風通しもよくて、近代的な設備(当時珍しい冷蔵庫まであったのですよ)のなかで、なんというのかな、誇りをもって「家事」ができる。そんな印象を受けます。もちろん、「台所はおんなの仕事」だったでしょうし、「奥様ではなくて、女中さんの仕事」だった。そこはそうなんだけれど、でも、ちゃんとそこに、家のリーダーとしての敬意が払われている、そういう印象を強く持ちます。写真にはないけど、台所から女中さんのお部屋を通って、土間に出て、いろんな用事をするのにも楽なように、本当に、実際に家事をするひとの目線での工夫を感じます。

 

そして、たくさんの人が集ったという食堂、サロン。

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サロンからそのまま庭に出ることができます。いろんな種類の樹木が植えられていて、ものすごく広いわけではないけれど、とても素敵な空間です。

 

そして、その奥の、プライベート空間(子ども部屋、妻さまのお部屋、直哉の居間、寝室)へと続いていくのだけど、そこで強く感じることは、「個」を重んじる(これは子どもであっても、女であっても、対等に)ことと、互いを感じること、互いに視線を注ぐことの両方が同じ価値をもって存在していること。

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足元だけちょっと開いていて、そこから子どもたちの様子を見つめることができる、とか、距離はあるけれど、声がちゃんと聴こえて、様子も遠目から確認できる、とか。

 

家族のなかにあっても、「わたしはわたし」という感覚。「わたしの主人はわたしです」という感覚。だけど、ちゃんと家族のことには関心をもち、関わるときにはしっかりと関わる、という感覚。

 

旧居の奥にいくほど、静寂のなかに一人でいることにどっぷりと浸りながら、自分に向き合うことができる気がするのです。代表作のひとつも読んだことがない、とんでも失礼なわたしなのだけど、ここでかつて暮らして、文章を書いていた志賀直哉の哲学のようなものに、ほんの少し触れさせてもらって、そして贅沢にも個人レッスンで対話してもらっているような、そんな気分。

 

ところで、この旧居の庭は、表の門から玄関に続く庭、サロンから出たところの庭、居間と寝室から出られる、ちっちゃな池のある庭と、茶室や廊下から眺める中庭の4つ。

 

わたしが好きなのは、ちっちゃな池のある庭です。

 

池に映る庭の木々。

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2階の廊下から見た庭。

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1階の書斎から見た庭。

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傾きかけた太陽に照らされる庭。

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唐突ですが、

この池について書かれた、志賀直哉の超ショートストーリーがあるのだということを、帰宅後、smokyさんのブログで知りました。

beatle001.hatenablog.com

とても素敵な記事なので、ぜひお読みいただきたいのだけど、わたしがうれしかったのは、この『池の縁』という作品に登場する志賀直哉とお子さんの様子を、何度か旧居を訪れているおかげで、とても活き活きと、立体的に想像できたことです。

 

「庭のこのへんを、こんなふうに娘さんがお父さん(志賀直哉)のあとを追いかけてはしゃいでいたのかな」とか、洗面所で手を洗うときの父と娘の凸凹の後ろ姿とか、子どものお得意の「繰り返し話法」につきあう志賀直哉のちょっと面倒そうな、それでいて、慈しみ深い目線とか、そんなものが、目の前で展開されるようなかんじがしました。

 

「お金持ちの物書き」。

 

確かに、そうなんです。もちろん裕福。もちろん「天が二物も三物も与え給うた」お人であったでしょう。

 

でも、なんというか、会ってみたかった、話してみたかった、そんな気がする人に、いつの間にか、わたしのなかの志賀直哉は変化を遂げているのです。

 

「物書き」さんから、その文学作品でないもの(彼が設計した家)を通して、という、ちょっと不思議で、ちょっと邪道ではあるかもしれないけれど、でも、こんなふうに長い時間を超えて、誰かから影響を受けるということがあるもんなんだなぁ・・・・。

 

そんなふうに思っています。

 

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夕方あんまり遅くなると、次の日のことが気になるので、ちょっと「巻き気味」で旧居をあとに。

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レンタサイクルを返して、車に乗り込む前に、かわいいスイーツを。

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志賀直哉旧居に行ったあとは、自分の家の、とくに台所に手をかけたくなります。自分の部屋から台所のテーブルに移動させたレコードプレーヤーでしたが、さらに進化して(笑)、台所のバックヤードへ引っ越してきました。

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刺激を受けると、ごはんにも波及効果があります。

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志賀直哉センセイ、

 

2月20日がお誕生日だったようですね。(旧居に泊まりにきたこともある、小林多喜二の命日、う~ん、この表現には抵抗があるのだが・・・でもあるのだと、最近知りました)

 

作品にはいまだ挑戦できていない、怠け者でございますが、でも、センセイからいろんなもの、いただいて、人生がチビチビと、変化するのをたのしんでおります。

 

ありがとうございます。