筆(キーボード)が重くて、しばらく書けなくて、
久しぶりに書き始めると、とんでもなく長文になってしまい、仕切り直し。
おかんと、いろいろあったんです。
おかんが書いている「自分史」をめぐって。
ひとことで書くと、わたしは読みたくなかったんだわ。向き合いたくなかった。
だけど、おかんは、わたしにこそ、読んでほしかったんだよね。
そこんところで何度もさざ波がたってきたのだけど、少し前に大波がザブーンと押し寄せて、ちょっと正直、途方に暮れた。
そして、悟った。
わたしが向き合わないと、これ、終らないんだな、ってことを。
で、おかんが書き溜めている文章を、意を決して一気に読んだ。
そしたら、めっちゃ泣けてきて、恥ずかしいぐらい、泣いた。
そして、その涙の意味を、おかんにちゃんと伝えた。
そのあと、自分の家に戻ってから、おかんに送ったメールの全文。
昨日と今朝、とてもいい時間を過ごせたと思います。ありがとう
自分史のこと、私自身もどう向き合っていいか、すごく考えながらしばらくを過ごしてきました。母さんのことをすごいと思う反面、どうしてもその同じ時間に自分が抱えてきたいろんな想いも沸々とわいてきて、気持ちがざわついたり、そのことによって母さんに不愉快な思いや残念な気持ちをさせているのだろうという勝手な自己嫌悪などもあり。
でも昨日からのひとときで、なんとなく、そこをひとつ乗り越えられたような気がします。母さんがいまお弁当をどんな気持ちで作ってくれているのかということも知り、あらためて感謝の気持ちも強くしています。
自分史はとてもいいと思います。売り物にするのでないなら、世界とアジアと日本の年表みたいなものと自分史を対比させたらもっといいと思う。岩波ブックレットやら、いろんなものから抜粋して、わたしがその作業をやってもいいかなと思っています。売り物にすると、その抜粋とかがややこしいから。
わたしは母さんの活動家としての人生の犠牲になったとは思っていない。だけど、ずっと、その時々に葛藤があったのは事実で、母さんもわたしも、その葛藤のなかで親子として生きてきて、そこを克服していくためにも、自分史は意味が大きいんだと、やっと整理できてきたかんじです。
母さんがその昔、突然刺繍のキットを買ってきて、黒地に赤のバラの刺繡を無心で刺していたのを思い出しています。母さんも、活動の犠牲になったのではないけど、でも、突き進むために捨てたものがあって、すごい葛藤があったんだと思います。
わたしはそういう母さんを勝手に反面教師にしてきたところがあって、感情を烈しく出すこともしたくなかったし、いまもしたくなくて、ひとに何かを熱く伝えることにも抵抗がある。勇気もない。自分史を読むと、そういう自分を間接的に否定されるような気がして、それもすごくいやだったのだけど、それはわたしの勝手な想像で、仮にそういう側面があったとしても、もはやわたしはわたしだし、自分の人生を、その時々の選択の連続のなかでつくっていくんだと思う。それを否定されるんじゃないか、否定されたくない、という防衛反応が強すぎて、母さんともギクシャクしてきたところがあると思っています。
わたしはわたし。
そのことにもう少し自信をもって、自分を肯定もしながら、母さんの自分史執筆に付き合っていこうと思います。
半日ぐらい過ぎてから、おかんからきた返事の全文。
あんたが帰ってから、洗濯やらなんやら色々して、夕方になってメールを開きました。
これは現実か?・・・と茫然として、簡単には気持ちを表現できなくて、言葉が綴れない。
「ひとこと」で言うと、『うれしい』しかない。
とにかく自分史は本気でがんばる。
ありがとう。知っている限り、こんな親子の例は、知らない。
おかん「らしい」文章。
ものすごく長い間、ずっと胸につっかえていたものが、すーっと通過したような、不思議な気持ちになった。
おかんがわたしにお弁当を作ってくれる意味、おかんに聴くまで、そんなこととは思いもしなかった。
「自分史を書いていたら、その時代のあんたらの食事のこと、とくにお昼ごはんのことをまったく思い出せない。給食がなくなった高校生のとき、いったい何を食べていたんかな、と。自分が活動に没頭しているとき、あんたらのことを本当にほったらかしにしていたんやと、そんなことを思うと、自分史を書き進められへん時期があった。そこで思い立って、今からでも遅くないから、作ったらええねん、ということになったんや。」
・・・・そうやったんかぁ。
だから、こんなに、いつもいつも、カラフルで、豪華なんやね。
今まで以上に、感謝して、味わって、頂かないと、バチがあたる、ほんまにそう思います。