のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

わたしの、お弁当歴。

お昼ごはん、食べましたか?

 

わたしも、さっき「ごちそうさま」しました。

 

ふと考えた、わたしの「お弁当デビュー」。

 

自分でお弁当をちゃんと作ったのは、高校1年生のとき。

 

中学までは給食だったのが、高校にあがってお弁当になりました。最初のしばらくは、おかんがつくってくれていたのだけど、なんというか、あれですよ、「茶色系お弁当」です。煮物と、ごはんと、卵焼き、みたいなかんじ。緑と赤は、考慮されてなかった(笑)。

 

で、中学まではお昼ご飯のときも、席はおなじで、6つぐらいの机を1グループにまとめるかんじだったのだけど、高校になって、学食にいく子もいれば、教室で輪になって食べる子もいれば、窓際でひとりの子もいれば、きっと食べない子もいたんだろうと、今になって思ったりします。

 

わたしは、自分的には「一匹狼」でへっちゃらだったのだけど、なんか女子たちが「〇〇ちゃ~ん、こっちおいで」みたいに誘ってくれて、むげに断れずにご一緒することもしばしば。

 

そのとき、まわりのお弁当がものすごくカラフルなことに気付くのです。で、自分のお弁当箱を開けたくない、肩身の狭い思いをすることになる。だけど、忙しくシングルマザーをがんばるおかんに「かわいいお弁当いれてほしい」なんてことは、とてもじゃないが言えなくて。

 

で、「作ってもらえないなら、自分で作ろう」って思って始めたのが、本格デビューでした。

 

当時、プチトマトが出始めた頃で。赤はプチトマト、緑は冷凍のグリーンピースを茹でて、白ごはんに混ぜ込むだけの「なんちゃって豆ごはん」がレギュラーでした。

 

最初はレパートリーも少なかったのだけど、ちょっとずつ作れるものが増えていって。自分が作ったから、安心してみんなの前で開けることもできて。

 

そこから20年以上経って、「誰かのためのお弁当」を頻繁に作るようになったのは、今は高2になった相棒ちゃんが保育園のとき。

 

「キャラ弁」全盛期だったけど、相棒ちゃんは、そういうのは大して気にならなかったようで、「おかあちゃん、甘玉(甘い卵焼き、の略称)と、ブロッコリ(ブロッコリーって伸ばせなかった、かわいい頃)と、なんか果物いれてほしい」って、より具体的な要望が、わたしのやる気スイッチをどしどし入れてくれたものです。

 

小中学校は再び給食。そのあいだ、わたしは「自分のためだけ」のお弁当は若干サボり気味の日々が続いていましたが、相棒ちゃんの高校入学を契機に、再び「お弁当熱」が高まり、引っ越しと台所リフォームによって、ステージも整ってきた、今日この頃です。

 

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おいしいお弁当を作って、お昼にお弁当を開くのを楽しみにしてほしい。そう強く願ってる一方で、いつも頭の片隅にあるのは・・・

 

「そんなお弁当、食べれる子ばっかりじゃない」ってこと。

 

もしかしたら、お昼ごはん、食べてない子だって、いるってこと。

 

そのことへの想像力を、相棒ちゃんにも、持ってほしいということ。

 

今回の「緊急事態宣言」のなかで、学校がお休みだったことによって、みんなと一緒に勉強ができなかったのはもちろんだけど、給食が食べられなかったことによって、お腹を空かしていた子が、少なくない人数、きっといたんだと思います。

 

やっと学校が始まって、だけど、給食は「まだ」みたい(少なくとも、わたしの近辺は)。早く、給食が始まってほしい。給食の食材を納入している業者さんも大変だと思います。調理してくれる人たちも、非正規のひとが多いはずだから、お仕事どうなっているんだろう。そして誰よりも、「給食で栄養摂ってほしい子どもたち」に、早く給食を食べさせてあげたい。

 

そういう気持ちも、わたしのからだとこころのなかには流れていて、それから、昔むかしのおかんへの敬意も(彩りが茶色系だっただけで、忙しいけど、ほんとにまじめなお弁当、作ってくれたんですよね)、もちろんうれしそうに頬張ってくれる相棒ちゃんへの愛しさも、全部ぜんぶ込めて、お弁当を噛みしめました。

 

ふと、そんなことも、書いておきたくなりました。

 

じゃ、午後のお仕事、がんばりま~す。

 

あ、きのうの晩ごはんね、家に帰ったら、ほとんど出来てました。相棒ちゃんが作ってくれてた。「ちょっと痩せなヤバイ」らしく、わたしとしては、若干の物足りなさを感じなくもなかったが、ひとに作ってもらえた幸福感が、摂取カロリーを3割増しぐらいにしてくれたので、なんとか、いけました(笑)。相棒ちゃん、ごちそーさんでした。

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