のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

暴力を、止め(やめ)る。

いきなり本題を書き始める。

 

7月31日、ブログをとおして教えていただいた、岡真理さんの講演『今、ガザで起きていること。~アートは≪表象の限界≫にいかに向き合うのか~』を聴きに、金沢美術工芸大学に行ってきた。

 

自分がガザのことに心が向いたタイミングで、マー君のママさんもガザについての記事をアップされていて、そこからいろんなことが動き始めた。

 

nonchi1010.hatenablog.com

 

マー君のママさんが書かれていた記事がこちら。

 

momo2448.hatenablog.com

 

 

自分が金沢まで出かけて行って、岡先生のお話をお聴きすることを、「日頃、別に何をできてるわけでもない自分なのになぁ・・・」と思わないでもなかったけど、でも、これは、いまこそ、自分が出向いて、話し手の声に直接触れるべき時なんじゃないかと思えてきて、ちょうど一か月のなかでも仕事の調整が一番つけやすい週であったことにも助けられ、そして、誘ってくださったマー君のママさんにお目にかかって、一緒に講演に参加できるというご縁に心動かされて、金沢行きを決めた。

 

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マー君のママさんとは、「今日初めてお会いしたひと」とはまったく思えない、もうずっと前から知っている歳上の友だちに久しぶりに再会できたような気持ちで、キャッキャ言いながら、ちょっと小さくジャンプして手を握り合った。あたたかいご縁になんの遠慮もなく甘えさせてもらった。そのお話は、ゆっくり自分のなかで味わいながら、またゆっくり読んでくださる皆さんにもお裾分けしたいと思っている。

 

 

今日は、パレスチナのことを、わたしのこれからのことを、書く。

 

 

・・・・わたしの家の本棚には、頑固一徹おかんの蔵書がかなりたくさんある。並べきれなくて、奥と手前の二段構えになっているけど、「だいたいこのテーマはこのへんにある」ぐらいは把握している。把握しているけど、そこから取り出して読むことは、ほとんどなかった。

 

今回、岡さんの講演をお聴きして、自分がいかに「知っているつもり」のまま、実は全然知らないまま、知ろうとしないまま、パレスチナのことを「後回し」にしてきたかを痛切に省みた。

 

あらためて、おかんの本棚の「このあたり」と思う場所を探してみると、パレスチナに関連した本が何冊もあった。ページを開くと、途中まで読んだような折り目もあったし、見出しにも憶えがあったりした。でも、どれも最後まで読んでいなかった。「イスラエルが悪いに決まってる。アメリカが加担してるに決まってる」とは思っていたけど、それをちゃんと突き詰めて理解することまでしていなかった。「イスラエルという国は悪い、それはわかるけど、ホロコーストを経験したユダヤ人が、なんでおなじ苦しみをパレスチナのひとに負わせることができるのか」という疑問もずっとあったのに、でも、その「なんで」を突き止めなくても、わたしの日常は大きな影響も受けずに、その後20年も30年も、流れてきた。

 

岡さんの講演は、そのようなわたしが、パレスチナに対する暴力に加担してきたのだと教えてくれた。知らないことを、知ろうとしないことで、イスラエルの暴力を追認してきたのだと自覚させてくれた。

 

イスラエルの暴力を止め(とめ)るためには、わたしが、「イスラエルの暴力に加担しているわたしの在り様」を止め(やめ)なければならない。これは、「ひとごと」では全く、ないんだ。わたしが、問われているんだと思う。

 

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実は、おかんには今回の金沢行きのことは伏せていた。岡さんの講演を、おかんならもちろん聴きたかったに違いないけど、わがままだけど、内緒にしたまま、金沢に行って、帰ってきた。

 

でも帰ってきてから、「今回聴いてきた」とは言えなかったけど、岡さんの本や講演の内容を、それを読んで聴いた自分のこころに沸々と湧き上がってくる思いを、黙っていることができなかった。それで、ゆうべ、おかんの家に泊まりに行って、二人で深夜まで語り合った。

 

「何もできてない私が、いきなりパレスチナについて熱く語るのって、なんか、おかしいかもしれんねんけどな」とわたしが会話の中で何度か「枕詞」みたいに前置きしたら、おかんは、「あんた、その考え、やめとき」と強い口調で言った。「そんな発想したら、誰も、何も、言われへんようになる。今のあんたで何があかんの? 堂々と、あんたが思うことを発信しなさい。書いたり、話したり、もっともっと、しなさい。『個』がそうやってどんどん後退して、分断されていったらあかんねん。もっと自信もって、堂々と、やりなさい」と言った。そういうおかんの烈しい「物言い」がずっと長いこと嫌いだったはずだけど、ゆうべばかりは、恥ずかしいほどに、泣けた。

 

岡さんの『ガザとは何か』という本を読み終えて、おかんに渡した。

ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義

 

わたしは、このブログにも、そして、おかんの友だちのグループなどでも、パレスチナについて考えることを書いたり、話したり、することをやってみようと思う。

 

「専門家でもないのに、自分などが話していいのだろうか」という講演参加者からの質問に、岡さんは「そうやって躊躇して、言葉を押しとどめてしまうことだけで、イスラエルに利する」ということ、「とにかく、知ることです。わからなければいつでもきいてください」ということを返答されていた(『ガザとは何か』の末尾の「質疑応答」の部分を要約)。

 

ひとりが小さな行動を起こして、それで即時イスラエルの暴力を止めることはできなくても、わたしは、わたし自身が、無自覚であったにせよパレスチナに向けていた暴力を、わたし自身の手で止め(やめ)ることはできるはずだから。それが、ひとり、またひとりのなかで始まっていかないと、この「人類の危機」(グテーレス国連事務総長のことば)はわたしたちにとって「遠い国で起きていること」であり続けてしまう。

 

「人類の危機」は、「わたしたちの危機」、なのだ。

 

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岡さんの講演は、マー君のママさんと並んで、一番前の席で聴いた。大きなスクリーンに映し出されるガザの子どもたちや、破壊し尽された街並みに何度も息をのんだ。「簡単に泣いちゃいけない」と思っていたけど、止められなくて涙が出た。講演のあいだじゅう、視界の端っこのほうにずっとマー君のママさんの存在があって、同じように息をのみ、涙されているのを感じた。ひとりでなく、ふたりで、並んで参加できて本当によかった。講演のことを教えてくださって、本当にありがとうございました。

 

そして、この岡さんの講演は、金沢美術工芸大学の学生さんの「ガザを知りたい」という声から実現したものだということにも、大きく心揺さぶられた。

 

キャンパスの一角で、パレスチナに連帯する展示を準備する学生さんの姿は、とても光っていた。