のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

「生まれてきてくれて、ありがとう。」

ちょっと前に、『ベイビー・ブローカー』をレイトショーで観てきた。前日も、その前も、ずっとあんまりよく眠れていなかったので、非常に不安だったけど、でも、どうしても観たくて、ひとりで行ってきた。

 

そして、不安的中。眠ってしまった。

 

疲れすぎて寝不足だったからというわけでもなくて、そしてもちろん、つまらなかったわけでは全くなくて、ちょっと矛盾するけど、スクリーンから放たれる「やさしさ」に包まれてしまって、眠ってしまった、みたいなかんじ。

 


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でも、もちろん、ずっとずっと眠っていたのでは、ない(笑)。

 

途中、目が覚めてからは、自分も一緒に車に乗って、旅をしているみたいな気分に、どんどんなっていった。

 

印象的なシーンはたくさんあるし、あとから想い出して、「あぁ、そういうことだったんだな」と思う「大切なシーン」もたくさんあるのだけど、なかでも一番印象に残るシーンで、みんながリレーした言葉がある。

 

「生まれてきてくれて、ありがとう。」

 

ベイビー・ブローカーのサンヒョン(ソン・ガンホ)が運転する車の同乗者には、しあわせにすっぽり包まれて生きてきたひとは誰もいなくて、みんなそれぞれに痛みや哀しい想い出や、思い出したくない過去や、逃れられない罪を抱えて生きてきて、そして生きている。その彼ら・彼女らが、眠りにつくまえの、真っ暗なホテルの部屋で、「生まれてきてくれて、ありがとう」の言葉を、静かに、ひとりずつ、順繰りに、口にするシーン。

 

「悲しみ」や「痛み」が連鎖することを、実際の社会のなかでもたくさん見聞きするこの時代のなかにあって、「悲しみ」のなかから、「痛み」のなかから、あたたかいものを生み出していく、その可能性が、わたしたちのなかにはあるんだと思えて、涙がじゅわじゅわっと溢れてきた。

 

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飛躍しすぎと言われるかもしれないけど、引き合いに出すのはどうかと言われるかもしれないけど、安倍氏を撃った彼も、「生まれてきてくれて、ありがとう」と、誰かから言ってもらえる存在だっただろうか。そうであってほしい、なんて言うのは、自分がすごく傲慢な気がするし、そんな存在だったら、こんなことにはなってない、なんて言うのは、もっともっと違う気がするのだけど、でも、誰もが「生まれてきてくれて、ありがとう」という、かけがえのない存在であることが、当たり前すぎるほど当たり前な社会を展望する、その「光」みたいなものを、私たちは、諦めてはいけないぞって、そんな気持ちに、この数日、ずっと包まれている。ニュースで流れる、何ものよりも、その気持ちに、大きく揺さぶられている。

「変えられるんかな?」の問いに。

夕方、相棒ちゃんと投票に行ってきた。車で5分かからないところにある投票場で、直前に2人で候補者を確認して臨んだ。

今回ほど「自分の思いを一票に込めたい」と強く思ったことはなく、書き間違えていないか、何度も見直した。

投票を終えて、車に乗って帰るとき、相棒ちゃんが「○○は、お母さんの子どもじゃなかったら、投票に行ったかどうかわからん。だってな、わたしらが投票したところで、何も変わらへんのちゃうかなーって、正直、思うから」と言った。

「そっかー、そう思うんかぁ。だけど、○○は、いまのままでええの?世の中に対して、なんでやねんっって思うとき、ない?」

と返したら「あるよ、あるけど、何しても変わらん気がする」と。

「でも、投票したやん。それってすごいことやねんで。その一票って、ものすごい価値がある。みんながそうやって自分の一票を大事にして、ちゃんと投票したら、絶対に世の中に影響すると思う。変わらんことは、ないと思う」。

相棒ちゃんは歯切れよく「そうかーー!!」とはならなかったけど、でも、ちゃんと耳を傾けていたと思う。

でも、あらためて強く思う。

これからを生きる若いひとたちに、「何をしたって同じ」と諦めさせるような社会ではあかん。

変えていけるってことを、実感してもらいたい。

少なくとも、自分の家族のなかから、まず、その希望を語っていかないと、って、すごく思っています。

「あたしは希望を捨ててないで」。

大事な大事な投票日の朝。

おかんのとこへ来て、一緒に朝ごはんを食べながら、安倍元首相のことや、それに影響を受けるであろう選挙の結果、そしてその後の政治のことを話している。

わたしは、彼が犯した数々の罪を償うことはおろか、問われることもなく、この世からいなくなったことが悔しい。

あのような手段で人の命を奪うことにはもちろん賛同しないけど、でも、「ひと一人の命の重み」が同じというなら、彼がついた嘘を覆い隠すために働かされて、死においやられた赤木さんの命を思わずにいられない。

だから、彼があのように命を落としても、それでも、「亡くなったひとのことは」とうやむやに終わらせたりしないで、問い続けないといけないって思っている。

でもそう思う一方で、まるで「弔い合戦」みたいな選挙になって、自民党がとんでもなくひとり勝ちしてしまうんじゃないかと、暗い気持ちにもなっている。

でも、おかんは違うみたいだ。



「わたしは希望を捨ててないで」。

おかんはカッコよく、そう言った。

野菜サラダをもりもり頬張りながら、トーストにイチゴジャムをたっぷり塗りながら、力強く言った。



「このままじゃあかんやろ」。


その通り。


このままじゃ、あかん。

おかんに言われると、本当に、本当に、そう思えた。


さあ、おかんのお手伝いが終わったら、家でテスト勉強してる相棒ちゃんを連れて、投票してこよう。


みんな、みんな、投票に行こう。

世の中を変えていくちからは、私たちの中にある。

冷静に、前を見据えて。

安倍元首相が亡くなった。

白昼堂々、こんなことが起きるのが、すごくこわい。

でも、もっともっとこわいのは、このまま、自民党批判をしにくい空気が蔓延していくこと。

彼の悲願だったからと、憲法改正への流れが一気に国まるごとの勢いで進んでいくこと。



いま、冷静に。

いま、しっかり、前を見据えて。



「民主主義の根幹」の選挙を、無駄にしてはいけない。

「知らされていなかった」のか。

2022年という年が、後にどのように語られるのか。おおきな分岐点になってしまうかもしれない、いま、この時。


ワイドショーみたいな「選挙特集」は流れるけど、この選挙の最大の争点はちっともフォーカスされない。


それどころか、ウクライナで起きていることに乗じて、煽り立てて、「だからこのままじゃいけない。もたもたしてたら、やられてしまう」と追いたてているみたいに見える。


だけど、ちゃんと自分で考えたい。


染まっちゃいけない。


流されちゃいけない。


「知らされていなかった」のでなく、「知ろうとしなかった」ことで、私たちは大きな過ちを犯してはいけないと思います。


政治をもっと、私たちの近くに引き寄せよう。

何を食べても、な日々。

ここまで、医療現場で働いてきて、職場でクラスターも起きて、それでも自分も家族もコロナに感染しなかったのだけど、先月、近しいひとがコロナになって、しかも合併症が重なって、少し深刻な状況が続いていた。


数日前、やっと転院先の大学病院から元の病院に戻ってきたという知らせを受けて、仕事帰りにその病院へ行って、駐車場から見上げて病室の窓越しに姿を確認した。


そしてやっと食事も再開されて、今日は重湯を卒業して少し形のあるものをいただいたそうだけど、本人いわく「宇宙食みたい」に普段の食事からはかけ離れているらしい。それでも口から栄養を摂れることの喜びが、都度送られてくる食事の写真にみなぎっている。


とにかくよかった。順調なら来週には退院できるかも、というところまできた。


わたしはその人が入院してからも、もちろん仕事をして、相棒ちゃんと生活を営んで、食事もお弁当も作って、食べていた。だけど、なんというのか、何を食べても、どこか味覚が遠いところにあるようで、砂を噛むようで、なんとも言えない日々だった。


そこから抜け出して、やっと、おいしく食べられるようになった本日、相棒ちゃんがいないので、一人でジャンクフードを食べたくなり、既製の「あとは焼くだけ」のピザを買ってきて、ゆで卵とバジルとトマトとオリーブオイルをトッピングしてオーブンで焼いてみた。


(バジル、最後に載せるんだった。もみ海苔みたいになって笑っちゃったよ)


まんまるのピザが、なんともほのぼのした気分にさせてくれて、そしてまあまあおいしかった。

今日は野菜もたくさん買ってきたし、明日は元気に台所に立とう。


生きることは、食べること。


あらためて、その思いを強くしたしばらくだった。

選挙のこと、仕事のこと。

間近に国政選挙が迫っていることを、メディアと政権が結託してひた隠しにしているとしか思えない。記憶しているなかで、いまが一番ひどいと思う。そして、私自身も、最近、かなり「落ちてるな」と思う。

 

わたしはその昔、看護師になりたての頃、自分が働く病院の方針で、入職すると同時に「自動的」に職能団体に加入させられた。そればかりか、国政選挙のときに「看護師の代表を国会へ」と擁立された候補者の後援会への入会とカンパを事実上強制された。しかも、その候補者は「自由民主党」の公認候補だった。

 

わたしはその後援会への入会について「思想信条の自由に反してると思います」と当時の病棟の主任さんに申し出た。その時の主任さんの迷惑そうな顔を、いまでもはっきり憶えている。「〇〇さんの言いたいことはよくわかる。だけど、これは看護師の地位向上のために大事なことやから理解してほしい」とやんわり、じんわり説得されたけど、「看護師の地位向上は必要と思いますけど、そのことと引き換えに自民党の政策に賛同はできません」と拒否した。そしたら、それが大問題になった。「そんな生意気な新人はどこのどいつだ?!」みたいなことになり、何度も呼び出されてお叱りを受けた。最終的には、ひどい話だけど、わたしが病棟に納めていた「詰所費(毎月、休憩室で飲むコーヒー代や、病棟での忘年会、歓送迎会の積み立てとして徴収されるお金)」のなかから後援会へのカンパを勝手に支払われてしまった。加えて、そこから主任さんの上司である婦長さんからの陰湿ないじめが始まった。

 

主任さんは私を休憩室に呼び出して、「〇〇さん、ごめんね、助けてあげられなくて」と言ってくれたけど、その言葉のとおり、いじめられている私を守ってくれることは、ただの一度もなかった。そんなふうに、尊厳を傷つけられるひとのことを傍観できるひとが、どうして看護なんてできるのか、もちろん私をいじめた婦長さんに至っては、論外もいいとこで、看護師という職業に対して新人ナースなりに、相当に幻滅した。

 

その後、その病院を辞めると同時に、職能団体からも抜けた私が、20年以上経ってから、その職能団体の会館に定期的に足を運ぶことになるとは、思ってもみなかったけど、いま、そんな立場で仕事をしている。

 

大阪というところで、この数年のコロナの時代を看護師として生きて働いてくるなかで、ものすごくもどかしくて、ものすごく悔しかったこと。それは、がんばればがんばるほど、「維新政治」の片棒を担ぐことになってしまったことだ。とにかく、目の前の患者さんのため、一緒に働くナースたちのためにがむしゃらにやってきたけど、それがまるで知事の手柄のように扱われていることがたまらなく悔しい。

 

それだけでなく、今回の参議院選挙に「看護師の地位向上のために」と擁立された候補者は、またしても政権政党の公認を受けていて、その候補者を「看護師のリーダーのひとりとして、あなたもぜひ応援して」という。

 

それはない。

ちょっと前にも書いたけど、それは、ない。

 

だけど、わたしのどこかに、あの新人ナースのときに受けたいじめのトラウマが残っていて、はっきりとした態度で「そんなことには賛同できません」と表明するだけの勇気がない。「後援会入会の名簿に名前を書いて返信して」という要請に、沈黙するだけしかできていない。その自分のことが不甲斐ない。

 

そんなことに加えて、仕事のなかで、ひとを信じられなくなるような出来事に直面していて、正直、「もうリセットしたい」と思ってしまっている。もちろん、すぐにそれが実現はしないけど、でも、がんばることへの気力みたいなものが、相当に目減りしているのを日々感じる。

 

そんな私のことを静かに眺めながら、頑固一徹おかんは、知り合いに「親書」を書きまくっている。「この選挙で大負けしたら、この国は本当に大変なことになる」と伝えまくっている。おかんはおかんで、特にこの数年、「わたしは一体なにをしてきたんやろ」と無力感に苛まれることがたくさんあっただろうに、それでもやっぱりおかんはすごい。尊敬する、まったく。

 

あかんたれの娘で申し訳ないな、と思いながら、それでも何とかがんばろうと思って、友だち便で送ってもらった男爵イモと玉ねぎでコロッケを山盛り作った。

 

 

むしゃむしゃ頬張っていたら、お腹の底のほうからあったまる感じがした。

 

何が、どれだけできるか、わからないけど、自分の選ぶ道は間違ってないと自信をもって進んでいかなくっちゃ、と思えた。