のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

平和絵本つながり。

「この出来事をシェアしたい」とか「この気持ちを伝えたい」とか、「このこと、あの人ならどんな言葉で表現するだろうな」とか・・・。日々暮らしているなかで、ブログでつながっている人たちのことを思い浮かべることが、割とある。いや、結構ある。

 

一方で、ブログを書く環境から言うと、最近自分のノートPCが自宅になくて、まとまった文章をiPhoneで綴るのが苦手な私にとっては「書きたい気持ち」と「実際に書けること」のギャップがどんどん大きくなる。

 

喜怒哀楽や、しあわせなことやそうでないこと、忘れたいことや忘れたくないことを、もっといい意味で気軽に書けばいいのに、なんだろうな、書き始めるとついつい長くなって、そして、より深く考え込むきっかけになってしまったりして、余計に筆が重くなる、みたいな感じかな。

 

 

でも、やっぱり、ここでつながっている人には、ここで発信しないと伝わらない。伝えないまま日々が重なっていくのは、やっぱりもったいない、そう思う。

 

だから、ものすごく前からあたためていることも含め、遅れ遅れで書いていこうと思ってる。

 

そんなふうにあらためて思った最近の出来事を、今日は、書く。

 

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お目にかかったことはないけど、文章から、いつもぬくもりが伝わってくる、陽だまりみたいな、マー君のママさんが、ある絵本を紹介してくださった。

 

momo2448.hatenablog.com

 

「こどもの日」に寄せて、『だれのこどもも ころさせない」という一冊をチョイスされるそのお人柄、その「考え方」に、タイトルだけでぐっときて、いつもながらやさしい言葉の綴り方も含め、心動かされる。

 

「だれのこどもも」、「どのくにのこどもも」、命を奪われていい理由なんてないのに、どんどん、世界はその逆の回転をし続けていて、とんでもない「おとなたち」がそのことを正当化するための理由付けばかりしている。そのことを知らない「おとなたち」、知ろうとしない「おとなたち」がたくさんいる。でも同時に「このままじゃだめだ。何とか少しでもめざす社会に近づけたい」と思っている「おとな」だっている。行動している「おとなたち」も、ちゃんといる。わたしもそこにつながって、連なっていきたいと、マー君のママさんの記事を読ませてもらって強く思った。

 

それと、この絵本、日本・中国・韓国の3国の絵本作家たちが共同しているということにも感銘を受けた。東アジアで共に生きている私たちだけれど、本当に「共に」と言えるためには、過去の歴史に真摯に向き合うことが必要で、それは「自虐」でも何でもなく、「後ろ向き」でもない。

www.doshinsha.co.jp

 

全部で10作品あるという、この「平和絵本」シリーズ。私の本棚のなかの一冊が、このシリーズの仲間だと知った。

 

思わずマー君のママさんにコメント欄でお伝えした。以前にもマー君のママさんが紹介された絵本がわたしと相棒ちゃんのお気に入りの一冊だったことがあってすごくうれしかったのだけど、今回はまた格別の喜びがあった。

 

私の大切な絵本は、『非武装地帯に春がくると』(イ・オクベ作 おおたけきよみ訳)。

 

www.doshinsha.co.jp

 

 

朝鮮半島を南北に分断する「軍事境界線」(1953年の休戦の際に設置され、全長248kmにもわたる)から南北それぞれに2kmのところに鉄条網が張り巡らされている。その鉄条網と鉄条網の間が「非武装地帯」と呼ばれる空間で、文字通り「武装しない地域」。人の出入りも厳しく制限されている。

 

非武装地帯のそばにある展望台から、双眼鏡越しに見える北側の大地に想いを馳せるおじいちゃんと、人の出入りがほとんどできない非武装地帯だからこそ生き生きといのちを育む動植物たちがこの絵本の主人公。

 

夏も、秋も、冬も、鉄条網の向こうの、非武装地帯の向こうの、離れ離れになったままの大切な人(朝鮮戦争によって生き別れになった離散家族は1000万人ともいわれているが詳細は不明。その多くが、再会が叶わないまま亡くなっている)を想って双眼鏡を覗き込むおじいちゃんは、次の春には自分の足で北の地を踏んで、会いたい人に再会できることを願っている。固く閉ざされた「分断」という門をこじ開けて・・・。

 

 

朝鮮半島が南北に分断されていることに、日本は大きく関わっている。そしていま、日本の平和を語るとき、この南北分断が、私たちにとっても越えるべき壁であると思う。「(あの、まともじゃない)北朝鮮が攻めてきたらどうする?」ということをいつも前提にして日本の武装は進んでいる。本当にそうなのか?そうならないためには私たちに何ができるのか?そのことに言及するだけで危険人物に指定されてしまうから、国会でも「北の脅威」は揺るぎない、疑いのないものになっている。でも、私たちは一体何を知っているのか、何を理解しているのか。

 

それに、朝鮮半島の南にも北にも、ひとは暮らしているという当たり前のことが頭から抜けてはいけないと思うのだ。そこに暮らすひとたちのことを、おなじ「ひと」として想像したい。私たちは勝手に誰かの都合で敵や味方にされてはいけない。ましてや、その流れを子どもたちに引き継がせてはいけない。

 

絵本の写真を何枚も撮ってアップしかけていたのだけど、著作権のことを考えると、どこまで大丈夫なのか、わからなくなってきたので、ぜひ出版社のホームページからご覧いただけたらと思う。

 

非武装地帯に息づくさまざまないのち。

 

門をこじ開けたいおじいさんの想い。

 

子どもたちの心に、まっすぐ、やさしく、あたりまえのことが届くと思う。

 

この絵本を含めたシリーズが、過去の歴史のなかで加害国であり、被害国である日・中・韓の作家のみなさんのひたむきな共同によってつくられたことに心から敬意を表しつつ、紹介してくださったマー君のママさんに、そして熱心にコメントを書かれた読者のみなさんに、心を寄せたい。