のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

第一話:「家のことちゃんとしてから」?

昨日の「仕事初め」は想像をはるかに超えて忙しかった。7時半に出勤して、帰宅したら21時前だった。インフルエンザが猛威をふるっていて、外来も病棟も大変なことになっている。

 

そんな初日を終えて寒い夜道を駐車場へ向かいながら、地震にあわれて避難されている人たちのことを想像した。どれほど寒さが堪えることだろう。からだじゅうの細胞という細胞が、寒さと不安と窮屈さでギュッと縮こまっているに違いない。あったかいごはん、あったかいお風呂、あったかいお布団を届けたい気持ちがこみ上げた。

 

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年末あたりから、書きたいことがいっぱいある。

 

ちょっとした時間をみつけて、整理できていない文章でも、こころの覚え書きみたいに書いておこうと思う。

 

その流れで書くときは「第〇話」とタイトルにつけてみようと思います。

 

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年末、「働き方」について悩んでいるスタッフと面談したときのこと。

 

 

ダンナに言われたんです。

「働くのは自由やけど、家のことはどうするの?

それ、ちゃんとしてから働いてほしい」って。

 

 

思わず、それまでに話していた内容を忘れるぐらいカーーーッとなった。

スタッフ本人が冷静に話しているのに、わたしがそんなことではいけないのだけれども、めっちゃめちゃ腹が立った。それでも、もちろん、ひとしきり彼女の話を聴いた。彼女は、途中、泣いていたけど、「自分がどうしたいか」ということと「何がそれを阻むのか」ということについて、ちゃんと話してくれた。

 

 

わたしは、頭に血がのぼりすぎないように、言葉も選びながら、こんなふうに伝えた。

 

 

それは、あなたの家だけに起きてることじゃないと思う。

「家のことしてから働いて」って、

夫たちは、そんなこと妻から言われる?誰かから言われる?

なんで妻だけが、お母さんだけが、そう言われなあかんのか。

わたしはそれがすごく理不尽やと思ってる。

そして、わたしはそこから逃げて「ひとり親」を選んだけど、

あなたみたいに、そういう理不尽さと闘ってる妻やお母さんのことを

すごいなぁって思うし、本当は悔しいなって思う。

悔しいけど、いま、それを無理してひっくり返したり、

勢いで動かしても、きっとしわ寄せはあなた(妻、お母さん)に

くると思うから、ゆっくりいこう。

 

 

「ゆっくりいこう」という言葉に、なんとも歯ぎしりしたい気分だったけど、でも、実際にここで彼女が思い切った選択をしたところで、きっと一番苦しくなるのは彼女だと思うから、そう言った。

 

 

あらためて、じわじわと湧き上がる疑問。

 

 

「家のこと」は、妻だけの役割なのか、お母さんだけの役割なのか。

 

 

もちろん、そうじゃないおうちもある。ブログを読ませてもらっていても、うらやましくなるような「みんなでシェア」を実践されている人たちに出合う。でも、世の中、とりわけこの国の中で、それはとってもレアケースなんじゃないかな。

 

 

「家のことちゃんとしてから働いて」とは言われていなくても、言われる前から「そうしなくっちゃ」と思っている妻やお母さんがどれだけいることか。シングルマザーのわたしでさえ、その呪縛から解放されていない気がする。

 

 

もちろん、幸せを感じながらそれをやっているひとたちを否定したいわけじゃない。働きながら、「家のこと」もかっこよく、センス良く、要領もよく実践できるひとが、私の知り合いにも実際、いる。

 

 

でも、それでもやっぱり圧倒的に、「家のことをちゃんとする」のは妻やお母さんの役割として位置づけられている気がしてならない。それが悔しくてならない。それが、うちのばあちゃん(祖母)、頑固一徹おかん(母)、わたし(娘)と、時代が流れても、ちっとも変っていない気がして、悔しくてならない。

 

 

・・・・・という、第一話。