こころと身体の準備をして、韓国映画『あしたの少女』を観に行ってきた。
【公式予告編】『あしたの少女』8/25(金) より全国順次公開 - YouTube
数年前に高校3年生だった自分の娘と重ねて、主人公のソヒが追い詰められていく姿に息が詰まった。いつもすぐ泣くわたしなのに、涙も出なかった。
つい最近、その娘と訪れたソウルの街に、ソヒのように搾取される若者たちは何人もいて、きっとすれ違ってもいただろうと思い返したら、今さらながら、たまらない気持ちになった。
この映画の韓国語タイトルは『次のソヒ』。きっと「次のソヒを生まないために」という想いが込められているのだと想像する。邦題は『あしたの少女』だ。この「あした」に込められた想いは何なのか。若者を陰に陽に搾取しているこの日本で、「あした」はどんな意味を持つのか。
「あした」という言葉には、希望の匂いがしてほしい。あたたかい風が吹いて、やさしい陽の光が差してほしい。
「あした」を希望の日にするために、わたしもソヒに、ソヒの死の真相を追いかけた刑事ユジンに、つながっていかなくちゃ。
これは、映画の中だけのお話ではない。海を隔てた遠い国のお話でも、ない。
(映画パンフレットの表紙)