のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

「運命のひと」を大切に。

昨日は、ドラマから出た「マコト」に思わず相棒ちゃんと「嘘ぉ~っっ!?」と合唱した。そんなこと、あるんだね。よかったね。素敵だよ。相棒ちゃんが「おかあさん、じゃあさ、ドラマ撮影してるときも、もう好きやったんかなぁ」とハートのお目目で質問してきたけど、ほんと、どうなんだろうね。でも、そうでも、そうじゃなくても、どっちでも、おふたりにとってはさぞかし温かい時間だったことだろう。それもこれも、全部が素敵だよ、やっぱり。

 

で、あらためて考えてみたわけ。

 

わたしにとっての「運命のひと」って・・・(笑)。

 

そして、行き着いた答えはね。

 

 

 

わたしの「運命のひと」は、

わたし、ですわ。

 

ほかの誰でもない、「わたし」に生まれたから、いまの「わたし」が在るのよ。もちろん、人生歩いてくるなかで、「右か左か」とか「あっちかそっちか」の分かれ道でエイヤッと選択をして、その連続によって、その後の「わたし」が肉付けされたわけではあるけど、でも、「わたし」が「わたし」に生まれたことが、何をおいても「はじまりの、そのまたはじまり」なのだと思うわけだ。

 

うれしいことも、かなしいことも、くやしいことも、やるせないことも、いっぱいいっぱいあるのだけども、でも、自分の「運命のひと」を大切にしたい。そして、自分以外の、誰にとっても、そのひとの「運命のひと」は大切なのだから、お互い、かけがえのない存在なのだから、そこんとこ、想像できる自分でいたい。

 

負け惜しみじゃなく(笑)、もちろんジェラシーでもなく(笑、笑)、そんなふうに思いながら、今日もがんばってみる、わたしであります。

 

f:id:nonchi1010:20210520082253j:plain

 

 

あぁ、こういう朝、好き。

予定外の用事ができて、朝、早めの出発。

出勤にはまだ早いので、いつものルートをすこし外れて、ソイラテ飲みに来てみた。

シナモンたーっっぷり振りかけて、お砂糖も入れて、おやつ感覚でチビチビ飲みながら、久しぶりに読もうと持ってきた本をめくる時間。



いやーん、よいわ、よい。

たまには、こういうの、よい。

f:id:nonchi1010:20210519090940j:image

やっぱ、道具って大事ね(洗濯編)。

あらゆることに言えると思うのだけど、

道具って、大事ね。

 

そんなおはなしを、何回かに分けて書いてみよう。

 

初回のきょうは、「洗濯編」。

****************

うちは、人数の割に、洗濯物が多い。これは、紛れもなく、相棒ちゃんのせい。相棒ちゃんは、「どこでも靴下を脱いで、くしゅくしゅっと丸まったり、裏返ってても放置」するおひとで、且つ「究極、着るものがなくなるまで、洗濯をサボりたい派」。

 

あぁ、育て方を間違えた、と何度も悔やむけど、もう遅い。カンペキに板についてしまっている。

 

だから、わたしのなかで「洗濯」は、基本、ストレスフルな家事。疲れてても手の込んだおかずを作ることはできるけど、元気なときでも、洗濯をするのはちょっとめんどくさい。

 

せめて道具は整えたいと思うのだけど、これがまた、長年「完成形」に辿り着けずにいる。

 

そのなかでも最強の「イケてない」道具が、こちら。笑わないでね(笑)。

f:id:nonchi1010:20210516114925j:plain

ん?わかりにくいかな?

 

これは、無印良品の、多分ロングセラーのひとつだと思う、アルミ素材のとても丈夫でとても軽い「小物干しサークル」。

 

本来、36個の洗濯バサミがぶら下がっているはずのお品。

 

 

 

それが、10年ぐらいのあいだに、なんと洗濯バサミ10個になってしまったという代物。

 

しかも、そこには「モノを捨てない主義」の頑固一徹おかんによる、涙ぐましい修理の跡あり、なのだよ。

f:id:nonchi1010:20210516114843j:plain

タコ紐でくくりつけてはるやないのぉ~~。しかも、紐の長さ、マチマチ(笑)。

 

このサークル、さすがに、ベランダに堂々と登場させるのはこっぱずかしくて、室内専用扱いだったもんで、わたしのなかでは「二軍」扱い。「使わなきゃ、いっか」ぐらいに思っていたのだけども、最近、ブログお友だちのきょうこさんが、とっても魅力的な「捨てながら、活かしながら、遊びながら、脱線しながら」のお片付け(あ、これはリスペクトを込めてのご紹介)を独自のポイント制度を導入して展開されていることに感化され、「潔く捨てるべきか」とも思ったけど、「いや、ただ捨てちゃうのは忍びない。復活させられる方法はないもんだろうか」と、緊急事態宣言で閉まっちゃう前の無印良品へ行って、こんなおもろい物を見つけてきた。

 

f:id:nonchi1010:20210516114916j:plain

もはや「最後の一葉」になりそうなほど、はずれてどっかいっちゃった洗濯バサミたちを美しく付け替えるためのパーツが売られていたのだ~~。

 

f:id:nonchi1010:20210516114905j:plain

まだ残っている留め具も、思い切って全部、ニッパーでぱつぱつっと切り離す。そして、アルミのサークルをきれいに拭いて、

 

f:id:nonchi1010:20210516114811j:plain

透明のきれいな留め具と、新しい洗濯バサミを取り付ける。

 

いや~、おキレイです。見てやってちょうだいな、ビフォー・アフター(笑)。

f:id:nonchi1010:20210516114853j:plain
f:id:nonchi1010:20210516114822j:plain

 

f:id:nonchi1010:20210516114832j:plain

これ、留め具が進化していて、洗濯バサミが全方向にクルクルと動いてくれる。

 

早速、洗濯物、干してみたけど、めっちゃ使いやすかった(みなさまの目に晒すことははばかられ、画像省略、笑)。

 

で、ニッパーでぱつぱつっと切り離した残骸たちに、あらためて、感謝を伝える。

f:id:nonchi1010:20210516114758j:plain

やわらかい針金があるのは、頑固一徹おかんが、タコ紐だけでなく、針金も駆使して修理してたから(笑)。

 

しかし、こうして見ると、おかんの「物持ちのよさ」には感心する。すごいわ、ほんまに。

 

そのおかんの子なんだもんな、わたし。

 

そりゃ、「捨てられないおんな」だわな(笑)。

 

だけど、それでも、やっぱ、道具って大事ね。めっちゃ使いやすいよ、生まれ変わった「小物干しサークル」。

 

****************

ところで今日は、おかんの81回目のお誕生日。朝、お祝いの一言を電話したら、めっちゃ喜んでなさった。デキの悪い娘でも、コロナワクチン後の災難から復活したら、やっぱりうれしいんだよね。親の愛だな。

 

明日、仕事の帰りにおかんの家に寄る予定。

 

「お金つかわんといてや」と釘を刺されているので、お誕生日プレゼントはもう決めている。その話を、次の回に書くとしよう。


うしし(笑)。

 

 

 

 

おかんの歴史を、後輩として聴く構え。

きのうの「コロナワクチン2回目覚書」に、たくさんのコメントや☆をいただき(ブックマークコメントも含め)、みなさんのやさしさに感謝すると同時に、「アフターワクチン」(勝手にわたしがつけた呼び方)への関心の高さを感じている。とにかくいまは、なんとかしてワクチン接種の予約を完了させることが注目されているけれど、そして、そのこと自体、とても大事なことで(ネット環境をもたないひとや、それを駆使できないひとへの配慮のなさも、見過ごしてはいけないと思っている)、だけど、いま、ニュースもワイドショーも、どこもかしこも、「政府の広報部」みたいな情報しか出てこない気がして、せっかくブログを書いていて、せっかく読んでくださるみなさんの存在があるのだから、自分の体験(しかもうろ覚えだったし・・・)を発信することも、なにかのお役に立てるかもしれない、と思って書いた、その気持ちを汲んでいただけたようで、とてもありがたかった。

 

その渦中にあるときは、「とてもじゃないが、無理だな」と思っていたのだけど、やはりそこが「病気ではない」ということなのだろうが、昨日から、すこぶる元気になった故、以前から約束していたひとと、今日の午後、会ってこようと思う。

 

**************

わが、頑固一徹おかん、御年もうすぐ82歳。

彼女が、一念発起して「自分史」を書くことになった。

「自分史」といっても、それは、乱暴に要約すると、「ひとりの女性(ここ、敢えて『女性』と入れておく。敢えて入れておかないといけないほどの困難、葛藤、さまざま、あるからで、それについては、いつか、書きたい)活動家の半生まるごとの記録」というかんじで、「〇〇運動」といわれるものに、ひとつひとつ出会って、そこに飛び込んでいったおかんが「書いてきたもの」「話してきたこと」「つくりあげてきたもの」「展望してきたこと」をまとめることになる。

 

で、そのサポーターの一員に、おかんの娘であり、「女性活動家」の彼女にとっての、ある意味では「一番近しい後輩」であるわたしも加わることになった。というか、そうすることにした。

 

今日は、そのサポーターを一緒に務めてくださる、おかんよりちょっと後輩、わたしよりずっと先輩の女性に会う。

 

彼女とのおつきあいは、そんなに長くはないのだけど、「おかんの娘」であり「女性活動家の後輩」でもあるという、世間の「のんちゃんの位置づけ」にどう向き合うのか、長らく葛藤してきた(している)わたしの心のざわざわを、ものすごく自然に受けとめて、そのままを認めてくれたひと。彼女が一緒にサポーターに加わってくださるから、わたしも、決心することができた、と思う。

 

「おかあさんのことは、娘ののんちゃんが一番よく知ってるから、のんちゃんが中心になってやるのが一番いいよね」と思われるかもしれないこの作業、しかし、わたしのこころはそんなサクサクっとはいかない。でも、だからこそ、向き合いたいとも思っていて、その「しんどいに決まってるけど、でも、やらないという選択肢がない」という、いまのわたしの気持ちを、その彼女に思いっきり打ち明けようと思っている。

 

そうすることを、昨日、おかんに先に伝えておいた。

 

なぜだか、電話の途中から、泣けてしまい、向こうもきっと泣いていたのだけど、でも、明らかに、ここからスタートする。もう船出はした、ということだと、おかんもわたしも感じたと思う。

 

いわゆる活動家として、社会に打ってでたおかんは、同時に母親であった。その両立が、いかに大変なことだったか、正直、両立できなかったことも含め、おそらく、「男性活動家」(ここも、乱暴にまとめて申し訳ないけど、いまは敢えて、こう対比させてほしい)なら、必要なかった葛藤に、おかんも、わたしたち子どもも向き合ってきた。そのことを、ちゃんと整理して、自分のなかに、落とし込みたいと思っている。

 

ときどき、このブログで書いている「わたしは正直、おかんが好きではない」という感情の根っこを、自分なりに、ときほぐして、認めてあげたいという思いが、とても、ある。

 

そんな大事な時間に、いまから向かう。

 

お昼ごはんは、きのう作ったカレー。ごはんはいい具合の「おこげ」。

f:id:nonchi1010:20210516115859j:plain



ほんとは、もうひとつ、おもしろいことを書きたかったけど、時間切れ。

 

また、書きに来ます。

やっと「普通の朝」(コロナワクチン2回目覚書)

ものすごく久しぶりに、「普通の朝」を味わっている。

 

随分と前に感じるけど、思い返せば水曜日の午後に新型コロナワクチンの2回目を接種した。「2回目は熱と接種部位の痛みが強いから、できるだけ翌日を休みにしておこう」という方針で、わたしも翌日休ませてもらう段取りをとって臨んだ。

 

熱と痛みに備えて、解熱鎮痛剤も5回分持って、でも、どこか「まぁ、わたしは大丈夫」な気がして、「あんまりしんどくないけど、一日休めるから、どんなふうに『おうち時間』を楽しもうかな」なんて思ったりしていた。

 

そしたら、実際は、とんでもなかった。

 

**************

接種したのが午後4時前。

念のために、解熱鎮痛剤を、まだ痛くも熱っぽくもなかったけど「先飲み」して、夕飯は、ちょっとサボって、お気に入りのラーメン屋さんで食べて帰った。

 

帰宅してちょっとゆっくりして、さっとシャワーを浴びて、布団に入ったところまではよかった。

 

少し眠って、注射した腕がズキズキ痛んで目が覚めた。・・・と思ったけど、いまから思うと、高熱で眠っていられなくなって目が覚めた。

 

そしたら、みるみる全身の関節という関節が痛くなり、頭は脈と同じにバクバクと割れそうに痛くなり、階下の相棒ちゃんに助けを求めるにも動けなくて、這うようにしてトイレにだけは辛うじて自力で行って、水分だけ、なんとか摂って、朝を迎えた。

 

「ちょっと楽しいお休みになるかも」なんて思っていた自分の愚かさを全身で感じる、長い長い一日の始まり。

 

夜中に測った体温計で、「36.8℃」とかいう値が出たのが信じがたく、助けにきてくれた人にお願いして、新しい体温計やら、ゼリーやら、のどに通りやすそうなものを買ってきてもらった。

 

測った熱は、やっぱり「38.6℃」。高かった。そして、以前インフルエンザで40℃の熱を出したときの数倍と思える関節の痛み。身の置き所がないって、このこと。いろんな病気で痛みを抱えるひとのつらさを、ほんの一瞬だけど体験した。ワクチンの副反応だから、いわゆる「病気」ではないのだけど、でも、このレベル、このつらさ、「これ以上ひどくなったら、ほんとに、ただの副反応で終わるんだろうか」という不安が朦朧とした頭にもよぎる。

 

幸い、もともと「食べてなんぼ」の人間なので、食欲だけは維持されて、水分も摂れたし、「なんか食べたい」とも思えて、ゼリーやら、アイスクリームやら、ハーブティやら、あれこれ、口に入れることはできた。これがなかったら、わたし、ちょっとどうなっていただろう、と思う。

 

熱は、解熱鎮痛剤を飲んでいても、結局のところ、丸1日+半日のあいだ、38℃~39℃台が続いた。関節の痛みも同じ時間続いた。途中からはぎっくり腰になったような腰痛も加わって、寝ていることもつらい状態。

 

正直、具体的なことを覚えていないぐらい、朦朧としんどかった。(覚書になってないな、笑)

 

ようやく昨日の午後あたりから、台所のベンチでクッションにもたれてテレビを観ることができた。相棒ちゃんとちょっと会話する元気も出てきた。ごはんも、しっかり食べられた。

 

途中、頑固一徹おかんに報告しないわけにいかず、超絶かいつまんだ報告を電話でしたけど、そもそも電話ごしのわたしの声がおかしいので、そりゃ、母親歴50年以上だから気付かないわけがなく、「あんた、それ、ほんまに大丈夫なんか」とものすごい心配されてるのが、これまたスマホごしに伝わってくる。「あぁ、だから言いたくなかったんだよな」とか思いながら、そりゃ、親だもん、そうだよな、とかも思う。

 

ゆうべは、身体が随分楽になったので、頭がいろいろ回転しはじめて、夜な夜な、考え事をした。

 

①コロナワクチンの副反応は、年齢が若いほど強くでる、男性<女性で症状が強いという報告があるけど、「若い」って、どれぐらいの定義なのか知らないけど、50代のわたしでも、こんなにすさまじい症状です。

 

②「2回目の翌日は副反応を想定して仕事を休みにしたほうがいい」というのは、看護師仲間のなかで伝わってきたけど、世の中的にはあまり大きく言われてなかったんじゃなかろうか。

 

③もちろん、全員が全員、こんなひどい副反応を体験はしないだろうけど、これ、もし高齢で独り暮らしだったら、水分も、食べ物も、段取りが難しくて、直接副反応によって、ということでなくても、命にかかわることがあり得るんじゃないか。

 

④いま、「早くワクチンを打つ」ことに躍起になっているけど、「アフターワクチン」に対して、非常に無防備なんじゃないか。

 

⑤少なくとも、自分の病院でこれから接種していくひとに向けては、とくに2回目接種のあとの副反応の可能性について、「備えあれば」の精神で、ヒトやモノの段取りをしておくことをお勧めしたほうがいいだろうな。

 

⑥これが一番おおきなことだけど、つらいときに面倒みてくれるひとがいることの有難さ、心強さってものすごい支えになる。だけど、そういうひとがいないひとが、きっとたくさんいるのだ。あぁ、そういう社会のなかで、わたしたちは生きてるんだよな、ほんと。

 

⑦もちろん、どんな国でも、どんな政治のもとでも、この副反応は同じように出るのだろうけど、それでも、このつらい症状を体験して、なんというか、なおのこと、身をもって、いまの政治に対する不信感を新たにした。市民の不安に対応する構えなんてちっともないし、寄り添う精神なんて毛頭ない。そんなかんじ。

 

*********

そして、やっとのことで「普通の朝」を迎えた。

 

窓を開けて、風を入れながら、「ただのお白湯」をゆっくり身体に取り込む。

f:id:nonchi1010:20210515085617j:plain


たまった洗濯物を洗濯機にお願いして、久しぶりに「朝ごはん」を自分で作る。

 

その「普通の朝」の、なんとありがたいことか。

 

もちろん、わたしの、この経験が、ほかのひとにも起こるとは限らない。だけど、「そんなことがあるかもしれない」と頭の片隅にでもおいて、これからの接種に臨んでもらえたらと思う。ただ、しんどすぎて、具体的なことはかなり忘れてしまっていて、参考にならないかも、なのだけど。

「ぬくぬく」と育つこと、育てること。

最近、朝の出勤時間が少し遅くなり、ずっと念願だった、相棒ちゃんに「行ってらっしゃい」を言える日々を手に入れつつある。

 

相棒ちゃんが2歳になる前に、頑固一徹おかんの家へ母娘で転がり込み、以降、数回「家族のかたち」をマイナーチェンジしてきたけど、おかんと同居させてもらっていた時期を除き、相棒ちゃんをひとり残して私が先に家を出るという生活をしてきた。

 

ここまでの道のりで、「おかあさん、〇〇さんがまだ学校に来られてないのですが」という担任の先生からの「問い合わせ電話」をいただいて、仰天したこと数回(笑)。そのたびに、優しく、あるいは「鬼の形相」で、「お願いやから、おかあさんが仕事に行く前に起きて、ちゃんと朝ごはん食べて」と言ってきたけれど、よほどのイベントがない限り、朝はギリギリまで寝ていたい派の相棒ちゃんは、今もそのスタイルを貫いている。

 

最近の仕事の変化で、「朝の時間」を手に入れたわたしは、朝からお弁当をつくって、テーブルに朝ごはんを出して、お天気の日には洗濯も干して、おまけにちょっと音楽なぞやってみたりもして、とても素敵な時間を過ごしているのだけど、相変わらず相棒ちゃんは「ギリギリ」の日々だ。

 

あまり早く起こしすぎると「まだ大丈夫」ってことになるので、わたしなりに戦略をもって時間を探って起こすのだけど、それでも、なかなか起きてこない。そのくせ、慌てて起きてくると、髪型だの、眉毛だの、なんだかんだと「枝葉」のことに忙しく、ちゃんと朝ごはんをゆっくり食べる、ということに重きがおかれない。せっかく作っても、「あ~ん、おかあさん、時間ないわっっ」とか言って、立ったままでつまみ食いみたいにしてちょっと食べて出ていったりする。(そのくせ、お弁当は、蓋をしていてもわざわざ開けて覗いたりするけど)

 

*********

ところで、いつも、食卓の話題が素敵で拝読しているブログで「ランチョンマット考」なる記事がアップされていて、いっぱい「そうそう、わたしもそうなのだ~~」と思った。その気持ちをコメントで書いたら、これまたうれしい返信をいただいて、「たかがランチョンマット、されど、大事な食卓の名脇役」だとあらためて思う。

 

我が家は木にこだわったダイニングテーブルをおかんから引き継いだので、テーブルクロスで「全面カバー」はしたくなくて、でも、ランチョンマットって、意外とチョイスが難しく、ついつい「そのまま」食器を並べたり、木製トレイにはみだしそうになりながらお皿をぎゅーぎゅーに置いたりしている。その点「お弁当包み」はとっても自由で、とっても楽しい。こないだも好きな生地でダダダッとミシンで縫ったけど、そういうの、お弁当包みは気軽にできる。

 

**********

で、自分が書き留めておきたいことは何かというと、なかなか朝起きてこない相棒ちゃんに、もっと魅力的な朝ごはんを準備して、「〇〇~~、はよ起きて、一緒に朝ごはん食べよ~~」と言いたい気持ちは満々。かわいいランチョンマットなどを新調して、「ちょっとかわいいから見てよぉ~」などと誘うこともありだよな、と思う。それで、ちょっと母娘の会話なども弾み、「じゃ、そろそろ行ってくるわ」ってな感じで、ゆったりと出かけてくれないものかと夢見てみたりする。

 

・・・・でも、こういうことを考えるとき、いつも「逆ばね」が作用する。

 

「そんなに【ぬくぬく】と育って(育てて)いいんやろか」。

 

「断捨離」なんて、ものすごく贅沢で、ものすごく傲慢なんじゃないかと思うときがある。まぁそもそもが、買い物が好きなわたしがいけないのだけども、でも、それをバッサバッサとゴミ袋に入れること、それを潔しとすることに、躊躇してしまうことが、まま、ある。(あ、みなさまの「断捨離」を否定するつもりは毛頭ない。あくまで、この、ダメダメなわたしの話)

 

そして、相棒ちゃんに対しても、バイト代はそのままご本人のお小遣いになり、必要な文房具、参考書、使い捨てコンタクトレンズ、スニーカー、アイスクリーム、かわいい服など、大抵のものがわたしの財布によってまかなわれる、この暮らし。

 

これは、相棒ちゃんにとって、どうなんだろう、と思うときがある。

 

ときどき彼女に話すこと。

 

「あんた、これ、当たり前じゃないからな。生理用品も買われへん同世代の子が、ほんとに居るんやからな。それ、忘れんといてや」。

 

相棒ちゃんは、だいたいは神妙な顔をして聞いている。

 

だけど、暮らしぶりは、相変わらずの「ぬくぬく」。

 

う~ん、しかし、そうしているのは、親の役割をしているわたしのほうなんだよな。

 

「ぬくぬく」とした、わたしの暮らし、食卓。

 

・・・・・大事にしたいけど、でも、その「ぬくぬく」を、自分の家のなかだけで熟成させてたら、あかんのだろうな。

 

じゃあどうする? わたし。

 

 

そんなことを、考えるお昼休み。

f:id:nonchi1010:20210511145530j:plain

お弁当は、形の悪いホットケーキと、珈琲と、サラダ。