最近、朝の出勤時間が少し遅くなり、ずっと念願だった、相棒ちゃんに「行ってらっしゃい」を言える日々を手に入れつつある。
相棒ちゃんが2歳になる前に、頑固一徹おかんの家へ母娘で転がり込み、以降、数回「家族のかたち」をマイナーチェンジしてきたけど、おかんと同居させてもらっていた時期を除き、相棒ちゃんをひとり残して私が先に家を出るという生活をしてきた。
ここまでの道のりで、「おかあさん、〇〇さんがまだ学校に来られてないのですが」という担任の先生からの「問い合わせ電話」をいただいて、仰天したこと数回(笑)。そのたびに、優しく、あるいは「鬼の形相」で、「お願いやから、おかあさんが仕事に行く前に起きて、ちゃんと朝ごはん食べて」と言ってきたけれど、よほどのイベントがない限り、朝はギリギリまで寝ていたい派の相棒ちゃんは、今もそのスタイルを貫いている。
最近の仕事の変化で、「朝の時間」を手に入れたわたしは、朝からお弁当をつくって、テーブルに朝ごはんを出して、お天気の日には洗濯も干して、おまけにちょっと音楽なぞやってみたりもして、とても素敵な時間を過ごしているのだけど、相変わらず相棒ちゃんは「ギリギリ」の日々だ。
あまり早く起こしすぎると「まだ大丈夫」ってことになるので、わたしなりに戦略をもって時間を探って起こすのだけど、それでも、なかなか起きてこない。そのくせ、慌てて起きてくると、髪型だの、眉毛だの、なんだかんだと「枝葉」のことに忙しく、ちゃんと朝ごはんをゆっくり食べる、ということに重きがおかれない。せっかく作っても、「あ~ん、おかあさん、時間ないわっっ」とか言って、立ったままでつまみ食いみたいにしてちょっと食べて出ていったりする。(そのくせ、お弁当は、蓋をしていてもわざわざ開けて覗いたりするけど)
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ところで、いつも、食卓の話題が素敵で拝読しているブログで「ランチョンマット考」なる記事がアップされていて、いっぱい「そうそう、わたしもそうなのだ~~」と思った。その気持ちをコメントで書いたら、これまたうれしい返信をいただいて、「たかがランチョンマット、されど、大事な食卓の名脇役」だとあらためて思う。
我が家は木にこだわったダイニングテーブルをおかんから引き継いだので、テーブルクロスで「全面カバー」はしたくなくて、でも、ランチョンマットって、意外とチョイスが難しく、ついつい「そのまま」食器を並べたり、木製トレイにはみだしそうになりながらお皿をぎゅーぎゅーに置いたりしている。その点「お弁当包み」はとっても自由で、とっても楽しい。こないだも好きな生地でダダダッとミシンで縫ったけど、そういうの、お弁当包みは気軽にできる。
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で、自分が書き留めておきたいことは何かというと、なかなか朝起きてこない相棒ちゃんに、もっと魅力的な朝ごはんを準備して、「〇〇~~、はよ起きて、一緒に朝ごはん食べよ~~」と言いたい気持ちは満々。かわいいランチョンマットなどを新調して、「ちょっとかわいいから見てよぉ~」などと誘うこともありだよな、と思う。それで、ちょっと母娘の会話なども弾み、「じゃ、そろそろ行ってくるわ」ってな感じで、ゆったりと出かけてくれないものかと夢見てみたりする。
・・・・でも、こういうことを考えるとき、いつも「逆ばね」が作用する。
「そんなに【ぬくぬく】と育って(育てて)いいんやろか」。
「断捨離」なんて、ものすごく贅沢で、ものすごく傲慢なんじゃないかと思うときがある。まぁそもそもが、買い物が好きなわたしがいけないのだけども、でも、それをバッサバッサとゴミ袋に入れること、それを潔しとすることに、躊躇してしまうことが、まま、ある。(あ、みなさまの「断捨離」を否定するつもりは毛頭ない。あくまで、この、ダメダメなわたしの話)
そして、相棒ちゃんに対しても、バイト代はそのままご本人のお小遣いになり、必要な文房具、参考書、使い捨てコンタクトレンズ、スニーカー、アイスクリーム、かわいい服など、大抵のものがわたしの財布によってまかなわれる、この暮らし。
これは、相棒ちゃんにとって、どうなんだろう、と思うときがある。
ときどき彼女に話すこと。
「あんた、これ、当たり前じゃないからな。生理用品も買われへん同世代の子が、ほんとに居るんやからな。それ、忘れんといてや」。
相棒ちゃんは、だいたいは神妙な顔をして聞いている。
だけど、暮らしぶりは、相変わらずの「ぬくぬく」。
う~ん、しかし、そうしているのは、親の役割をしているわたしのほうなんだよな。
「ぬくぬく」とした、わたしの暮らし、食卓。
・・・・・大事にしたいけど、でも、その「ぬくぬく」を、自分の家のなかだけで熟成させてたら、あかんのだろうな。
じゃあどうする? わたし。
そんなことを、考えるお昼休み。
お弁当は、形の悪いホットケーキと、珈琲と、サラダ。