きのうの「コロナワクチン2回目覚書」に、たくさんのコメントや☆をいただき(ブックマークコメントも含め)、みなさんのやさしさに感謝すると同時に、「アフターワクチン」(勝手にわたしがつけた呼び方)への関心の高さを感じている。とにかくいまは、なんとかしてワクチン接種の予約を完了させることが注目されているけれど、そして、そのこと自体、とても大事なことで(ネット環境をもたないひとや、それを駆使できないひとへの配慮のなさも、見過ごしてはいけないと思っている)、だけど、いま、ニュースもワイドショーも、どこもかしこも、「政府の広報部」みたいな情報しか出てこない気がして、せっかくブログを書いていて、せっかく読んでくださるみなさんの存在があるのだから、自分の体験(しかもうろ覚えだったし・・・)を発信することも、なにかのお役に立てるかもしれない、と思って書いた、その気持ちを汲んでいただけたようで、とてもありがたかった。
その渦中にあるときは、「とてもじゃないが、無理だな」と思っていたのだけど、やはりそこが「病気ではない」ということなのだろうが、昨日から、すこぶる元気になった故、以前から約束していたひとと、今日の午後、会ってこようと思う。
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わが、頑固一徹おかん、御年もうすぐ82歳。
彼女が、一念発起して「自分史」を書くことになった。
「自分史」といっても、それは、乱暴に要約すると、「ひとりの女性(ここ、敢えて『女性』と入れておく。敢えて入れておかないといけないほどの困難、葛藤、さまざま、あるからで、それについては、いつか、書きたい)活動家の半生まるごとの記録」というかんじで、「〇〇運動」といわれるものに、ひとつひとつ出会って、そこに飛び込んでいったおかんが「書いてきたもの」「話してきたこと」「つくりあげてきたもの」「展望してきたこと」をまとめることになる。
で、そのサポーターの一員に、おかんの娘であり、「女性活動家」の彼女にとっての、ある意味では「一番近しい後輩」であるわたしも加わることになった。というか、そうすることにした。
今日は、そのサポーターを一緒に務めてくださる、おかんよりちょっと後輩、わたしよりずっと先輩の女性に会う。
彼女とのおつきあいは、そんなに長くはないのだけど、「おかんの娘」であり「女性活動家の後輩」でもあるという、世間の「のんちゃんの位置づけ」にどう向き合うのか、長らく葛藤してきた(している)わたしの心のざわざわを、ものすごく自然に受けとめて、そのままを認めてくれたひと。彼女が一緒にサポーターに加わってくださるから、わたしも、決心することができた、と思う。
「おかあさんのことは、娘ののんちゃんが一番よく知ってるから、のんちゃんが中心になってやるのが一番いいよね」と思われるかもしれないこの作業、しかし、わたしのこころはそんなサクサクっとはいかない。でも、だからこそ、向き合いたいとも思っていて、その「しんどいに決まってるけど、でも、やらないという選択肢がない」という、いまのわたしの気持ちを、その彼女に思いっきり打ち明けようと思っている。
そうすることを、昨日、おかんに先に伝えておいた。
なぜだか、電話の途中から、泣けてしまい、向こうもきっと泣いていたのだけど、でも、明らかに、ここからスタートする。もう船出はした、ということだと、おかんもわたしも感じたと思う。
いわゆる活動家として、社会に打ってでたおかんは、同時に母親であった。その両立が、いかに大変なことだったか、正直、両立できなかったことも含め、おそらく、「男性活動家」(ここも、乱暴にまとめて申し訳ないけど、いまは敢えて、こう対比させてほしい)なら、必要なかった葛藤に、おかんも、わたしたち子どもも向き合ってきた。そのことを、ちゃんと整理して、自分のなかに、落とし込みたいと思っている。
ときどき、このブログで書いている「わたしは正直、おかんが好きではない」という感情の根っこを、自分なりに、ときほぐして、認めてあげたいという思いが、とても、ある。
そんな大事な時間に、いまから向かう。
お昼ごはんは、きのう作ったカレー。ごはんはいい具合の「おこげ」。
ほんとは、もうひとつ、おもしろいことを書きたかったけど、時間切れ。
また、書きに来ます。